228337 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

Favorite Blog

Welcome to Ichiro’s… Ichiro_Kishimiさん
Viva!元気キッズ SENSE-TRUNK kidsさん
日記帳 miru0203さん
まりいの賢い生活向… あおいまりいさん
子育ては自分育て・・ はあもにいさん
楽しく暮らそ♪ ちいねえ♪さん
半身浴生活であなた… 半身浴ライフ・プランナー/どかやんさん
そうまと一緒 優貴mamaさん
kokopelli かずりぃさん
日記 koharu98さん

Comments

フセン王子@ Re:初出勤!&お休み宣言(04/03) はじめまして、、、とてもいいサイトなの…
幸せナビゲーターのたくしクン@ 別れ 人生には、 出会いと別れがありますね。 …
*まりか*@ Re[1]:初出勤!&お休み宣言(04/03) こうやりく。さん ありがとうございます…

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

2005.03.30
XML
カテゴリ:教育に思うこと
 洛北さんのところで、おとぎ話の改作について書かれていた。子ども向きの絵本にするとき、残酷な場面を変えたり、殺さずに仲直りして終わったり、という改作だ。
 そんなのは、昔話が子ども(大人)に与える影響、力、良さというものを無視したけしからんことだと思う。なぜけしからんのか書くと長いのでそれは置いといて(^^;)…。
 
 どうして残酷な場面を変えてしまうのか、というと、保護者が「子どもには残酷すぎて読ませたくない」と思うからそうなってしまうのだろう。それは、絵本だけの問題ではない。この頃の親は、「子どもにつらい思い、悲しい思い、苦しい思いをさせたくない」という気持ちがとても強いのだと思う。
 洛北さんに実例を尋ねられたので、思いつくままに…。
 
 昔は、「子ども同士のケンカに親は出ない」というのがあったと思う。今はバリバリ出てくる。まあ出てもかまわないが、反応が過剰。
 子どもが「○○ちゃんにたたかれた」と言ったとする。幼稚園では、ほとんどの場合「お互いさま」で、たたかれた方もそれなりのことをしているのだが、親が考えるのは、「すわ、いじめか?!」ということだ。「先生、うちの子、たたかれたって言ってるんですけど、いじめられてるんでしょうか?」と言ってくる。
 「誰も遊んでくれない」というのもある。ケンカしたりすると、誰とも遊んでない状態が5分くらい続くこともあるが、それは「いつも誰も遊んでくれない」というのとは違って、一時的なものだ。でも、子どもがそんな発言をしたりすると、「いじめか?」ということで、「先生、うちの子、ひとりぼっちでいるんじゃありませんか?」と言ってくる。
 心配なことはすぐ尋ねてくれればいいし、説明すればわかってくれるんだけど、どうしてそう短絡的に犠牲者だと思うのか、不思議だ。友達と遊んでいれば、ケンカするのは当たり前なのに。もちろんいじめはいけないけど、深刻なものであるかどうかは、子どもをよく見ていればわかるはず。
 
 幼稚園の園庭開放で、親子で遊んでいるのを見ていると、そもそも、ケンカをさせない。子ども同士がケンカを始めたのを見るや、親がすぐに止める。そして、「あやまりなさい」だの「順番よ」だの言って解決してしまう。そして「ごめんね、うちの子我が強いから。」「ううん、うちの子もワガママなの。」と親があやまる。
 今や、子ども同士がちゃんとケンカができるのは幼稚園だけだ。
 
 でも、おちおちケンカもさせられない。
 
 うちの幼稚園では、小学校と違って、席順は決めていない。お弁当を食べるとき、「一緒に食べよ」と誘い合って一緒に座る。そうすると、当然「誘ったのに断られた」「約束したのに破った」「気が弱くて誘えない」「ダブルブッキングでもめた」「誰からも誘ってもらえなかった」というトラブルが毎日起こる。
 トラブルを話し合って解決することこそ集団生活で育てたいことなのだが、抗議してくる保護者もいる。
 「自分たちで席を決めるなんて、幼稚園の子には無理だ」と言われたり、「気が弱い子は自分から誘えないので可哀想だ」と言われたりする。じゃあ、小学校になったら突然できるようになるのか、中学校になればすぐできるのか。できるようになるまで、先生が毎日席を決めておけばいいのだろうか。
 
 幼稚園ではいろんな活動をするので、苦手なことをすることもある。水遊びで顔に水がかかるのが嫌だとか、縄跳びが跳べないから嫌だとか…。教師としては、励ましたり少しずつしたりして無理のないようにするけど、多少の葛藤はあるのが当然。でも「先生、うちの子が嫌がっているので、もうさせないで下さい。」と言ってくる親もいる。「無理矢理させると、心に傷が残りそうで心配なんです。」と言う人もいる。…そんなことくらいで心に傷は残らないと思うけど…。
 
 祖父母や地域の方を招待して焼きいも大会をした時のこと。「お客さん」に先に食べさせてあげようね、と言って子どもたちを後にしたら、保護者から抗議がきた。「早く食べたいのに、待たされてかわいそうだった。子どもに一番に食べさせるべきだ」
 待ったのはほんの数分だし、家ではいつもいつも一番にもらっているのだろうから、たまに「お客さんからお先にどうぞ」という経験をしたっていいのではないか…と思うのだけど。
 
 まあ今思いつくのはそんなところ。
 我が子につらい思いをさせたくない、と思うのはよくわかる。私だってそうだ。我が子が苦しい思いをするくらいなら替わってやりたい。できれば一度も悲しい思いをさせずに温室に入れて育てたい。
 でも、人間が成長するのは、つらい思いを乗り越えた時じゃないだろうか?悲しい思いをせずに人の痛みがわかるだろうか?傷ついたことのない人間に、傷ついた人の気持ちがわかるだろうか?

 「それはそうだけど、まだ子どもだからかわいそうだ。まだ早すぎる。」と言うなら、いつならいいのだろうか?小学校に入って初めて人とケンカをすれば理想的に話し合って解決できるのか?ある日突然泳げるようになるのか?いつも優先してもらって、ある日を境に人に譲れるようになるのか?
 
 私に言わせれば、小さい子ほどたくましい。子どもだからできないなんてとんでもない。早いほどショックも小さく乗り越えられる。乗り越えたという自信でさらに大きな山を乗り越えられる。親にできるのは、山をよけて歩かせることではなく、転んだらなぐさめ、消毒してやって、また自分で登るのを見守ることだ。
 今は、小さい山を避けて歩かせておいて、いきなり中学校で大きな山を登らせたりするから、こけてしまうんじゃないだろうか?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.03.31 07:46:11
[教育に思うこと] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X