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「何も言わなくてもわかってほしい」と考えてるお母さんは、ことのほか強情だった(^^;)
一週間ほど前の日記に書いてたお母さん、それと似たようなことを言ってきたお母さんと2~3人で井戸端会議をした。(うちの幼稚園では、お迎えの後も園庭で遊べるので、その時間を利用していつでも個人懇談みたいな井戸端会議ができるのだ) それで、自分の思いを言葉で伝えることの大切さ、困ったことやしてほしいことを人に伝えようとすることの大切さ、先回りしてわかってあげるのではなくて、子どもたちが自分で考えて問題を解決するようにしていきたいこと、などをお話ししたのだが…。 そういう私の考えにはすべて賛成、「その通りです」と言ってはくれるのだけど、 「でも、うちの子はまだできません。」 「できる子とできない子がいると思うんです。まだ言えない子のことは察してやらないとかわいそう。」 「うちの子は、我慢するんです。遠慮して言えないんです。」 う~ん、無力感…。私の説明が悪いのかしらね~。 要するに、考え方には賛成でも、自分の子は例外なのね。 たとえば、のどが渇いたとする。「お茶がほしいな。」と思う。「お茶をちょうだい」と先生に言えばもらえることはわかっている。 しかし、我慢する子だから言えない。あるいは、恥ずかしいから言えない。 お母さんは、そこで先生に「のどがかわいた?お茶がほしい?」と聞いてほしいと言う。 でも、私には子どもが、お茶がほしいと思っているのかどうか、言葉か態度で示してくれないとわからない。30分おきに聞けばいいの?10分おき?おまけに「トイレに行きたいのに言えない」という子のためにもしょっちゅう「おしっこは?」と聞いていなければいけないのね。 それでいったいそれをいつまでやるのかな? まあ、それをずっとやるとする。 我慢する子は我慢を続ける。先生が「お茶ほしい?」と言ってくれるまで我慢する。「何も言わなくても我慢して待っていればいつかはわかってくれる人が来て助けてくれる」と信じて育つ。 今はお茶だけど、そのうち小学生や中学生にもなると、友達関係がうまくいかないとか、いじめられたとか、どんどん問題が複雑になる。お母さんにも先生にも言えない。言わなくてももうすぐわかってくれるだろう、と思って我慢する。でも、その時にはもう幼児のように開けっぴろげではないから、そう簡単には親にも先生にも見えなくなっている。 誰もわかってくれない、と絶望して、自殺する子さえいる。その時になって親も先生も思う。「言ってくれればよかったのに。」 そういうシナリオは悲観的絶望的すぎるけど(^^;)、でもそういうふうに育てるってことでしょ? そりゃあ、なかなか言えない子もいるとは思うけど、親はひたすら励まし続けてほしい。信じてほしい。「この子にはできない」というのではなくて。 ああ、こんなお母さんたちを説得するくらいなら、10分おきに「お茶は?」「おしっこは?」と聞いて回った方が楽だわ、と思ってしまう。 まっ、長期戦でいくか。(3年ががりかな?(^^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.31 07:44:03
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