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カテゴリ:教育に思うこと
今日は「人権」の研修会があり、もと校長先生のお話を聞かせていただいた。
今76歳の女性で、小学校の教師を40年間勤めて定年の後、人権にかかわる仕事をしてさらに16年だそうだ。すご~い。第二の人生のキャリアでも私とそう変わらないなんて…。人生に定年はないのね。生涯現役なんだなあ。 そんな「仕事が生きがい」の先生だけれど、自分の子どもが小さいときは、学校で残業せずに仕事をカバンに詰めて定時に家に帰り、子どもたちとの時間をちゃんと確保していたそうだ。仕事は子どもたちが寝た後で…。 「子どもたちとの時間を取れないのだったら、一生結婚せずに子どもも持たないで仕事をすることですね。」とはっきり。(男性も女性も) 反省させられるなあ…でも、教育という仕事には終わりがなくて、熱心にやってると際限がないので、どこできりあげるかというのが難しいのよね…。 先生は「教育という仕事がほんとに好きなんです。どうしてかというと、何のためらいもなく正しいことが言える、遠慮なく正しいことができるからです。世の中、間違ったことがまかり通ったり、正しいことが言えない状況がいっぱいありますね。でも、教育という世界では、正しいと思ったことができます。」 私もほんとにそう思う。この世界では、遠慮なくきれいごとが言える。大人の世界では「きれいごと」と言われることでも、子どもたちの間ならできる。思い切りケンカする、ケンカしたら仲直りする、困っている人がいれば手をさしのべる、ぶつかり合いながら意見を言う…そんな、あたりまえなのになぜか大人はできないこと、打算やら遠慮やら複雑な事情やらからんできてできないことが、子どもたちならできる…いや、できないけど、「やろうよ!」と言える。そんな、きれいごとがまかり通る世界って大好き。 でも、そういう子どもの世界にも、最近は「我が子だけは」だの「かわいそう」だの「損したくない」だの「あの子の親は」だの、大人の思惑が入り込んできて、複雑化しつつある…。いつまでも、きれいごとがまかり通る世界を守っていきたいな…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.09 08:30:16
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