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5月30日 大好きな大好きな嬉野のおばあちゃんが亡くなった。 本当に優しくて可愛くて、大好きだった。 105歳、 周りから見れば大往生かもしれないが、 もっともっと生きていてほしかった。 今年の正月には例年どおり一緒に嬉野のおうちで過ごし これがまだまだ続くものだと思っていた 4月の頭に大たい骨を骨折し 見る見る弱って あっという間だった。 一ヶ月前にお見舞いに行ったときは、もうすでにかなり弱っていたけれど こんなに早いなんて、本当に寂しい
亡くなったおばあちゃんは嬉野のおうちにやっと帰れて 安らかなお顔だったように思う お通夜、お葬式、初七日と嵐のように過ぎ去って 対馬に帰ってきたけれど、 果てしない喪失感はいつになったら消えるのか。 おばあちゃんのことを考えるとすぐに涙が出てきて不安定になる 今まで親戚のお葬式に何度か出席したけれど 死というものを理解したのは 今回が初めてだと思う。 もう会えない、触れることが出来ない、おしゃべりできない いつもの場所にいつもの顔が無い ☆ お空からきっと見守ってくれているよね。 納骨の時にまたみんなが集まる。 みんなで会えるのはおばあちゃんのおかげ 105年。 本当にお疲れ様 本当にありがとう。 今までもこれからもずっと大好きなおばあちゃん。 ☆ 母が葬儀の後の挨拶で 「母は私を生きがいに、私は母を頼りに生きてきました 幸せでした。」 と言っていた。 早くに父(祖父)をなくし 母一人子一人で生きてきた二人の心からの言葉だと思う 忘れたくないので備忘録 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.06.05 18:57:27
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