お待たせしました!
28日の画像が入りました 今日,「武士の一分」を観て来ました。前から観たかったのですが、内容が悲しそうだったので、原作も映画もみる勇気が出ませんでした。でも、私のブログを見ていて下さった方が、内容を教えてくださったので、もう嬉しくて今日飛んで行ってみてきました。私が、何故観たかったか、訳がわかりました。そして、やっと自分のこれからとるべき道への光明が見えてきました。今まで勇気が出ませんでした。一度、どこかで自分の生い立ちを少し描いたことがあります。でも、すぐに消しました。忌まわしい過去と思っていたのと、家の恥をさらすようで怖かったのです。でも、私の事を書くことで、もしかしたら、100人の内の99人は救えなくても、残りの一人が何とか生きる希望を持ってくれるかも知れないと思ったからです。私は死ぬまでに一冊本を出したいと思っていました。それは、子供への遺書のつもりでした。そして、どんどん月日が流れ、いつの間にか、覚悟は薄れ、何もかも過去のことなのだと心の奥に押し込めようとしていました。でも、今日の「武士の一分」を観て、「私の一分」を通したいと思いました。私は虐待の生き残りです。私のような人は一杯います。二度と同じ思いをさせたくないからと、子供に甘くなりすぎたり、逆に親よりも強くなって、さらに自分の子を苦しめてしまう・・・。どちらに転んでも辛いのです。やるほうも、やられるほうも・・・。いじめは、その延長線上にあることに気がつかないかぎり終わりません。人は100人いたら100人の苦しみ、悲しみ、喜びがあります。自分では何でもないことが、他人には命取りになる事があるのです。私は、保育園で29年間働きました。地元だったので、小さかった子供さんたちがどんな家庭で、そして何十年たって初めて解る、その家庭の事情というものがあるのです。いじめっ子といわれる子は、生まれた時からいじめっ子ではありません。虐待する親も昔は赤ん坊で、子供でした。国の流すCMで、「抱きしめてあげてください」というのがありますが、抱きしめて上げられるような親は、虐待しません。抱けないのです。私は保母を辞めて、どうしたら私のような苦しむ人間が少なくなるだろうと考え、やっと私なりの考えが見つかりました。先ず離すこと。病気なのだと解らせる事。親を悪者ではなく、赤痢と同じ。一緒にいると子供が危ないと教えてあげて、その親を先ずだいてあげること。好きなことや、穏やかな時間をつくってあげて、その親の中の子供を遊ばせてあげること。大人の保育園を作りたかったのはそのためです。離した子供には、親が同じ思いをした病気だから治るまで離れるけど、あなたは悪くなく、親はあなたを愛しているとよく説明する事。細かい事は、又後日。少子化問題を言う割には、お国は今いる子を大事にしない。いまだに40人学級。偉い人に、一週間小学校の先生やってもらったらいいのに。20人でも多いくらい。それに、教科別に先生変えればいいのにって思う。その先生によって、得意技違うのに、なんで一番大切な時に、十羽一絡げなんだろう・・・。先生も、エリートばかりだから、解らんこの解らなさが解らない。何でも資格。だから、親は必死になって、その子の身の丈、持っている個性を引き出すまで待ってやれない。もう、競争の時代だけはやめたい。競争をやめろといっても、今の時代はまだ無理かもしれないけど、「協奏の文化」も認められる時代に、もうなっても良いんじゃないかと私は思う。イルカとか、鯨とか、ゾウとか、知能の高いものや、大きいものだけが偉いんだろうか・・・。そのものが持っている特質を活かしあって生きていくのが生活。生きることだと思うのだけど。老人は何回も同じことを話して話し相手も疲れるというけど、それがくにならない性質の人もいる。陶芸はやりたいけど、手が弱くて土のこねられない人には、土をこねるのが大好きで、一日こねても飽きない人を。長くなるから(もうとっくに長いか・・・)、とにかく、今いる人を大事にしないから、子供生む気になんかならないよね~。だって、団塊の世代って邪魔者みたいに言うけど、その人達は、戦後、御国再建のために、産めよ増やせよって生まれてきたんだから・・・。今又、子供を生めなんていわれても、また年とったら邪魔者扱いされるって思ってしまいます。それなら今施設にいる子や、今いる子供を、大事にして、その子が親になる年頃に、親になれるよう、今が大事なのではないかと思います。保育園で長く預かると言う事は、それだけ親が遅くまで働かないといけないということで、疲れ果てている。親は、勉強勉強で遊んでいないから、結婚してから遊びたくなる。大学入ってから遊ぶ。人はその時代にしたかったことを取りきろうとするもんなのです。我慢は出来て50年。だから、中年になるとすごいでしょ!何処から始めてどうしたら良いかわかりません。とりあえず、又逃げ出せないよう、HPに書きました。これを読んで、引く方もいるかもしれないけど、もういいです。私は、母が優しくて怒ったことのない人でした。母のために生きられた。でも、自分が母になって、もし自分の子が同じ目にあったら、私は命はって守ったろうと思った。でもあの時代は、女の人が働く場所は無かったし・・・。戦後生きるだけで大変な時代でしたから。だからね!死にたいと思っている人がいたら、死のうとする前に好きなことしなさい!仕返しとかじぁ無くて、学校とか会社とか、家とか、いじめる人のところから逃げなさい!逃げる事は、決して弱い事でも、悪い事でもナインよ!相談しても、其処に行けって言う人は、親でも、あなたとは周波数の違う人なのだから・・・。山本周五郎さんも言うとります。血のつながりだけが家族ではないと・・・。心療内科に通う方の多くが、家族が原因だとか。病院に行く人をおかしいとか、弱いとか言いますが、本当は逆なのだと思います。自分を責めて心療内科などに行く人がおかしいのではなくて、追い詰めている方のほうが病んでいるのですが、加害者になる方の人は、タフで、ご自分が悪いなんとは思ってもいなかったり、外面のよい方も多いのです。だから、そんな人のために、せっかく生まれてきたこの世、もう少し楽しんでから行っても遅くはないではないですか。今の時代は、逃げれば助けてくれる所もあります。今の辛い場所にしがみつかず、自分で自分を助けてあげてくださいな!どうか力のある方で、何か出来ることがあったらやってみてくださいな!夕張のように箱物で大変なところ。それが、そんな人達の避難場所や、学校や、老人施設に利用できないか考えてもいいのではないかと思います。お金一杯持っている方もそんな所で少し頑張っていただけたらと思います。今日の武士の一分の中でも、主人公が言っていました。私の夢は、その子の身の丈にあった教え方をする道場を造りたいと。暴力を使わない・・・。初めにしては長すぎました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。今度からは少しまとめてかきます。では又・・・。