アルゼンチン映画
舞台を見たいにもかかわらず、時差ぼけで丁度夜8時過ぎくらいから体調が一気にダウン。ガクンと落ちて身動きできないほど。仕方ないので早めの時間帯に話題のアルゼンチン映画をマズ1本みてきました。あいかわらずブエノスアイレスは国会議事堂の前で、デモが頻繁に騒音を発していますし、テレビをつけると強盗事件の速報ばかり。未だ繋がらない電話回線の苦情に電話局を訪れると、シャッターが閉まっていてストライキへ突入していました。物事がスムーズに運ばないのは日常茶飯事ですが、日本から戻ってくると少し複雑な気持ちになります。La dignidad de los nadies 監督は Pino Solanas 社会派の監督の描いた2001年12月の歴史的暴動から現在までの人々の生き様。名もなき人々にスポットをあて、明るい兆しや絶望を淡々と見せています。アルゼンチンの社会的革命にスポットをあて、軍事政権時代からの苦痛の歴史をおりこみ、これでもか!と見せられる貧しさと現実。こんなに厳しい日々を送る人達、ただ知識層や文化関係者とは大きく開いている感性と知性。決して精神的に彼等と親しくはなれそうにない。何かできることがあればしたいけれど一線は引かざるおえない。度々、暴動を起こす彼等の楽しむクンビアという音楽は好きになれないし、バイランタという遊楽スポットもドラックやお酒の量、話題も、、心が痛むけれど埋めることの出来ない溝がある。ただこの映画を見てアルゼンチンの過半数に及ぶ人々の事情や問題、フォルクローレの土台。コスキン予選でお世話になったマタンサ地区の願い、、あのバスに乗せてもらえたのがドレだけ大きなことだったのか、今更ながら感謝と責任を感じる。フォルクローレにはそんな民衆の夢がある。だからこそ難しく、不安定なテーマ。文化層がタンゴを取り上げがちなのは安全パイなのかもしれない、、タンゴは常に感性と知性が要求される。Historias y testimonios conmovedores de la resistencia social en la Argentina frente al desempleo y el hambre producidos por el modelo de la globalización. Son relatos de solidaridad, pequeñas epopeyas contadas por sus protagonistas, heroes anonimos con propuestas colectivas que vencieron el desamparo, reconstruyendo la esperanza.(500g 2 peso.. 80 yen)