五月最終日 Ultimo dia de mes me quedo pensando
昨日、手続きを済ませ来週1週間、再びダンスのトレーニングを受けることになりました。コロン劇場のフランス舞台音楽家の特別授業以来の吸収日和。 個人的に今回のトレーニングには大きな期待を抱いています。講師はニューヨークで能に関する基本を学んできた、コロンビア人のコレオグラファー。和洋折衷な経歴が交錯する南米の現代舞踊界。 手続きを済ませた後、最寄で国立コンテンポラリー舞踊団の新作が発表されていて、知り合いのダンサーが振り付けを行っていたので、駆けつけました。Ciudanzaという3年前に参加したダンスフェスティバルで共演した Emanuel Ruduena の活躍は目覚しく、ここ数年、様々な場所で作品を届け続けています。当時は 名コレオグラファーAna Garat 作品の主要メンバーでした。 彼女の周辺は常に入れ替わり立ち代わり新しい作品をダンサー自身も含めて発表していて、常にシッカリした結果と発表の場を確保している落ち着いて安定した活動に注目しています。今日の作品は全裸の場面がカナリ取り入れられていて驚かされました。しかも、全く動きのない静かな空間もカナリ取り入れられていて、終わってから各場面を思い起こし考えさせられる、、そんなインパクトの強い作品でした。こんなにダンサーの生身の身体を見続けたのは初めてだったのですが、本当に洗練されていて照明に優しく照らされた筋肉全てが美しかった。 こういった洗練された芸術作品を目の当たりにすると、先日の施設へのコラボレーションは、出きる全てを出きる限りのレベルに達することに徹するのみ、そんな空しさをアラタメテ思い出しています。しかも怪我を負うかもしれない、、という危険を伴う最大の重労働。これからはキッチリと一線を引いていきたい。関らなくていい場所、人を見極めること、、ここぞということにこそ全てを注ぐこと。煮詰めるということは、そういうことなんだと年齢を重ねるごとに心に刻んでいます。 佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango