出張ジャンキー:911 Zurichにて
Zurich行きの機材は50人程度が乗れるSAAB社の双発のプロペラ機であった。私の席は前から2番目でその前は空いていた。そこはビジネスクラスでコスト高であったが、当日手配の片道チケットではやむをえなかった。国際線のビジネスクラスといっても、欧州内の1時間ちょっとの近距離線では、優遇されるのは、席が前方にあって簡単な食事の内容がちょっと良くてサービスの順番が先だというだけである。食い意地の張った私は、アルプス越えの遊覧飛行のようなフライトに調子付き、搭乗前の私自身の緊急事態を忘れまた食べてしまったのである。また調子が悪くなった。直にチューリッヒに着くと思ったが、さらにひどくなって間が悪く着陸態勢から空港ターミナルまで耐えることになっては苦しい。ここで済ませておこうと思ってトイレに立ちあがった。すると何だか後ろの乗客が皆私の方を見ている感じがした。後ろから沢山の視線を感じた。人のことなどおかまいなしの人達が人の行動を何か気にしている。シートベルト着用のサインも出ていない。変だと思ったが「こちらは緊急だ。気にしていられるか」とトイレに入った。用を済まして手を洗っている時に気が付いたのであるが、このSAABという機材のトイレには小さいが窓がついている。窓の外を見てみるとどうやら今アルプスの真上を飛んでいる。トイレの窓から見ている場合ではない。トイレを出て開いていたドアからコックピットを表件訪問した。コックピットからアルプスを見せてもらおうと思った。私は静かにトイレのドアを開けて出た。すると通路側の客がこちらを見ている。窓側の何人かも顔を上げてこちらを見ている。「何だ何だ人のトイレを監視するなよ」と言いたくなった。ひょっとして私の身なりにおかしいところがあるのではないかと心配になりそれとなくチェックしてみた。ジッパーも上がっているしシャツも出ていない。問題ないじゃないか。私は開いているドアの外からコックピットを覗いてみた。前方はこの上もなく青い空と両サイドの眼下にはアルプスの山々が広がっていた。緑の山と氷河の山が連なっていた。機長が振り返った。「キャプテンこんにちは」と挨拶した。キャプテンは右足を何かの上に乗せて操縦桿も握らずリタックスしていた。「高度はどのくらいですか」「約15,000フィート(4,500m)」と高度計を指差した。そして高度の調節はこのダイヤルで調節するんだといってインパネの真中上部にあるダイヤルを少し回して見せてくれた。機体は若干上昇した。気さくそうなキャプテンなので「有名な山は見えるか」と聞いてみた。「ずうーっと向こうに見える尖がったのがアイガー、そして….(幾つか説明してくれたが聞き取れなかった)」私は、「美しい」だの「すばらし」だのと言って相槌を打っていた。しばらく美しい景色に見とれていた。無線が入りだした。キャプテンに「すまないけれど」と手で合図されたので私は席に戻ろうと振り返った。すると先ほどトイレから出てきた時よりも多くの人がこちらを見ている。何なんだ私を誰か有名な日本人と勘違いしているのか。それとも、ハイジャックしようとしていた風にでも見られたのか。そんなことはないだろう。コックピットは最初から開けっ放しであったしキャプテンともにこやかに話していたではないか。「何なんだ」。コックピットの後ろでミールサービスの後始末をしていたスチュワーデスの「もうすぐ降下しますよ」との優しい声を背に自分の座席に戻った。その途中にも視線を感じた。「何なんだ」。しかし私が席に座るとこちらを見ていた乗客の姿勢や視線が直ったように思った。機内の緊張が解けたように感じた。「何なんだ!」その機は何の問題もなく定刻にチューリッヒ空港に着陸した。近距離の小型機はターミナルのハンガー(ピアー)ではなく「沖止め」の駐機なのでバスでターミナルに向かった。しかし、その間には機内で向けられたあの視線を感じることはなかった。ターミナルに入って最初にすることは、乗り継ぎであれば出発案内のモニターを探す。最終到着地であればbaggage ( luggage ) counterにひたすら向かう。その日9月11日はチューリッヒ泊まりであったので私はbaggage counterの広場に向かってひたすら歩いた。私は、幾つかあるテーブルのモニターに自分の乗ってきたフライトナンバーを見つけたので荷物を載せるカートを用意してカバンが出てくるのを待った。近距離地方便は荷物を預けた人も少ないのでbaggage claimカウンターは人影も少なく閑散としていた。ターミナルも古い建物なので少し寂しい雰囲気であった。荷物を受け取る客が数人来たかと思うとしばらくしてテーブルが動き出し荷物が出てくる。その荷物を受け取った客が行ってしまうとまたしばらく閑散として状態が続くといったことの繰り返しだ。しかし、私の荷物はしばらく待ったけれど中々出てこない。モニターを確認したが間違いない。どうなっているのかと思って気が付いたのであるが全館放送のアナウンスがやたら騒々しい。キャンセルされたフライトの荷物はどこから出てくる。とか、何便のキャンセルが決まったといったことが切れ目なくアナウンスされている。よく聞くと全てアメリカ便だ。管制官のストか管制システムの故障かと思った。しかし、このコーナーに関することではなかったので注意して聞かなかった。それにしても私の荷物が出てこない。他のテーブルに出ていないか見回って確認する。幾つかある荷物がデリバリーされるテーブルをカートを押して行き来する。しかし見当たらない。私と一緒にボローニャから来た人たちも見当たらない。数人はいたはずである。どこに行ったのであろうか。ここまで一緒に来たはずなのであるが…。私はそれまでの出張で預けた荷物を失ったことはなかった。(今も)。この時が80回目の出張であったが、1回の出張で平均7~8回は荷物を預けるから600回以上も預けたことになる。しかし無くしたことはない。私と荷物が別経路で行って空港内の別の場所に捨て置かれていたこともあったが、今回はいよいよ雲行きがおかしい。そろそろ観念する時かと思ったときテーブルが回り始めた。胸をなでおろした。が出てこない。最後の荷物が出てしばらく廻ったところで停まってしまった。しかもモニターのフライトナンバーが消えている。遂にやられてしまったと思った。仕事に必要な書類は手持ちなので問題ないがスーツケースとその中身のことを思った。補償金額内で当面のものを揃えて足らない部分は帰国後旅行保険で賄って…手間だな~…。面倒なことになったと思った。航空会社のサービスカウンターへ行くと何人かの先客がいてさらに20分ほど待たされた。漸く私の番でbaggage tagを確認してもらうと、担当のお姉さんは少し怪訝な顔付きで「テーブルが変更になったのを知っているか」と聞いた。私は、モニターに示されたあのテーブルの前で待っていたけれど出てこなかったと答えた。彼女の説明によると、沢山のフライトキャンセルの混乱で荷物が出てくるターミナルやテーブルの大幅な変更になりそれはアナウンスされたがモニターの変更はされなかったのではないかということであった。ということは私のスーツケースは、別のテーブルに順調に出ていればもう1時間近く放置されていることになる。やばい!ここの空港は荷物をピックアップしてターミナルを出る時に係官がbaggage tagとの照合をしない。つまり、この荷物は自分のものだという顔をして持ち出すことは簡単なのだ。私は、指示された隣のターミナルに急いだ。一度は荷物を無くしたと覚悟したが一気に解決しそうな可能性に気合が入った。スロープはカートに乗ってハンドルのブレーキを調整しながら下った。合格発表を見るような気持ちでターミナルのドアを通った。果たして指定されたテーブルには何もなかった。気落ちしそうになるのを振り払い次の可能性に頭を巡らせた。クレームオフィスに向かった。が、私の目には見慣れた私のスーツケースが入ってきた。私は持ち主の現れない荷物ばかり集まられた一角にあるのを見つけた。やれやれだ。ホッとした。私は落ち着きを取り戻し売店で今晩の友となる日経新聞の衛星版を買いタクシーに乗った。タクシーはおばさん運転のタクシーであった。女性に重たい荷物をと気遣ったが、あっという間にトランクに入れてしまった。私は乗り込むなり「大混乱、大問題で疲れたよ」と言った。彼女は「信じられないことが起こったわね」と顔を曇らせた。「えっ。何があったの」と私は聞いた。空港で何か騒動でもあったのかと思った。彼女は、英語で上手く説明できないけれど、と前置きして説明してくれた。アメリカで旅客機が20数機ハイジャックされてそのうちの2機がワールドトレードセンターに突っ込んで、あとはまだ行方不明である。全ての民間機軍用機は近くの空港に降りるよう指示されている。ヨーロッパからアメリカに向うフライトは全てキャンセル、既に向かっているフライトもこれから全て戻ってくる。それで空港の混乱もこれからもっとひどくなる。と説明してくれた。声にならなかった。私が給水塔と思っていたのは実はワールドトレードセンターだったのだ。次の瞬間ボローニャ空港で見たCNNの画像が鮮明になった。あそこで写されているものが何なのかそこで初めて理解できあの画面の中のマンハッタンが見えた。駅前のホテルに着いてチェックインした。そのホテルは、バーゼルの販売代理店やルチェルンの部品メーカーに列車で行くのに便利なのでいつも宿泊していた。部屋は狭いが清潔だ。チェックインの際にウエルカムシャンペンが出るといったことはちょっとしたことだが朝食のブッフェはかなり充実しているし和朝食もある。何よりもJSTVという日本語衛星放送のサービスがありNHKニュースを日本と同時に見られるという点が一番魅力であった。チェックインも早々に済ませ部屋へ急いだ。TVをつけてJSTVを探すが出てこない。部屋のインストラクションを開いてチャンネル別放送局一覧を確認するがそのチャンネルでは他の番組が放映されている。フロントに電話を入れて確認してみると契約を終了したとのこと。オー神様。私はCNNにチャンネルを合わせた。連続して臨時ニュースが流されているようであった。ショッキングな映像が繰り返し流された。しかし、アナウンサーやリポーターの言っていることが即座に理解できない。同じリポートを何回見ただろう。4、5回見て初めて漸く7割方理解できたに過ぎなかった。暗澹たる気持ちになった。東京に電話を入れようかと思ったが夜中の2時だ。たぶん皆起きているであろうけれど明朝にしようと思った。私は空港で買った新聞を持って駅の中にあるビアバーに行って晩飯をとることにした。出張中、新聞を読みながら、何かつまみながら飲むビールは本当にリラックスできる。しかしこの日はスポーツ欄を読んでも何を呼んでも何も思わなかった。ビールもつまみも味はしなかった。ビールを飲んで休息しようというのは不謹慎かも知れない。しかし、私は何か淡々と行動するほかないと思った。でもいったい何人の人が犠牲になったのであろう。家族、友達、恋人、婚約者、師弟、上司と部下、同僚。愛を持って互いに尊敬し感謝する人を失う悲しみはどれほど辛いことであろうか。悲しみ。想像できない。私は家内と息子と娘のことを思った。親友達のことを思った。鼻の奥からどんどん突き上げてくるものがあった。どんどん突き上げてきて目に溢れた。