6月15日は、エドヴァルト・グリーグの誕生日。・・ということで、今も懐かしく心に残る
思い出をひとつ、お話しすることにいたします。
グリーグの曲で、いちばん思い出深いのは、1994年、厳寒の2月、今にして思えば
最後の来日となった(たぶん・・)、スヴャトスラフ・リヒテルのリサイタル。
リサイタル当日まで、演奏曲目は明らかにされない彼独特のスタイルを貫き、会場で
受け取ったそのホール手作りの、シンプルでいかにも「なんとか間に合わせました」と
思わせるプログラムには、グリーグの「抒情小品集」からの22曲が並んでいました。
田舎でも、ほぼ満席に近い客席は、彼の人気の高さを物語っていて、日にちが迫って
きても迷いに迷ってチケットを買ったわたくしと友人は、3階の、右に回り込んだ席。
ピアノの大屋根が邪魔して、手の動きは全く見えません。でも、幸運にもマエストロの
お顔がよく見える席でした。
当時、グリーグのこの曲集は、わたくしにとってはほとんど馴染みがありませんでした。
それでも、マエストロがステージに現れて、楽譜を見るために眼鏡をかけ、1曲目の
「アリエッタ」を弾き出すと、わたくしは別の次元へと導かれてゆきました。
自然への畏敬の念が深い北欧の人、グリーグらしい、季節の風物を細やかに描いた
素敵な作品集で、目の前に情景が浮かぶような「夜警の歌」、「妖精の踊り」などの
美しい旋律が続きます。
「蝶々」、「春に寄す」、「鐘の音」は、聴いたことがある曲で、ホールに広がるマエストロの
音の残像を、できることなら手でかき集めてバッグに入れ、家に持ち帰りたい衝動に
駆られたのも、宝もののような思い出でございます。
「トロルドハウゲンの婚礼の日」は、勇壮で親しみやすい旋律で好きな曲。
最後は「余韻」で締めくくったグリーグの世界。文字通り、極上の余韻の残るリサイタルで
ございました。マエストロは、一度も微笑むことはありませんでしたが、かと言って不機嫌
なのではなく、あたたかな拍手を送る聴衆を見据えながら、無言の対話を交わしている
ようにも見えました。
アンコールもまた素晴らしく、わたくしはあとにも先にも、あの時しか味わったことがない
体験をいたしましたが、それはまた違う機会にお話しできればと思います。
寒い冬の夜、感動の余り、楽屋口で「出待ち」をしたわたくし達の前を、マエストロは、
静かな微笑みと共に通り過ぎてゆかれました。あの笑顔、忘れません。
テーマのグリーグよりも、リヒテルがメインになってしまいました。お許し下さいませ。