今日は朝から、黒いネクタイをきりりと締めた一羽のシジュウカラが、盛んにウッドデッキに
やってきては、可愛らしい澄んだ声を聞かせてくれました。ウッドデッキの格子の木の間を
行ったり来たり。遊んでいるのでしょうか・・。くるくるとひっきりなしに首を傾げて、ちょんちょん
動き回るさまは、見ているこちらの方が、目が回ってしまいそうですが、でもずっと見ていたい
気持ちも。シジュウカラを驚かせないように身を潜めて、しばし、にわかバードウォッチャーに
なりました。雨が降っていても、いっこうに立ち去る気配がない彼。
うれしい訪問者でございました。
6月18日はイゴール・ストラヴィンスキーの誕生日。今日聴いたのは、イツァーク・パールマンの
ヴァイオリン、ブルーノ・カニーノのピアノでの「イタリア組曲」。
バレエ音楽「火の鳥」、「春の祭典」などで、20世紀初頭の前衛音楽の旗手と誉れの高い
ストラヴィンスキーではありますが、1920年初演のバレエ音楽「プルチネッラ」から、一転して
作風を変え、「新古典主義」と呼ばれる世界を構築していったのでございます。言い換えるなら、
親しみやすい音楽への回帰でした。
「イタリア組曲」は、この「プルチネッラ」から、6曲を抜粋、ヴァイオリンとピアノのための曲に
編曲したものです。「プルチネッラ」の中には、トロンボーンがユーモラスな旋律で大活躍する曲が
あり、聴けばきっと「ああ、この曲!」とどなたも手をたたく有名な曲ですが、「イタリア組曲」には
含まれていません。
「イタリア」と銘打っているだけあって、全体的に明るさに満ちた曲調で、数年前の3月、ある
リサイタルで聴いた時にはこれからの季節にふさわしい、快活さと陽気さに溢れた曲だわ・・と
思った記憶がございます。
作曲家が、その作風を変える時、そこに介在するものはいったい何でしょう。
時代背景であったり、自らの意向であったり・・。
「作風を変えた作曲家と、その理由を探る」。時には、こんな作曲家へのアプローチの仕方も、
新鮮で興味深い音楽の旅になるかもしれません。