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カテゴリ:日常
『有能なトップの下には有能な部下が集まる。自分自身に才能がある人は、才能ある他者にも寛容なのだろう。』(塩野七生著『ローマ人の物語』皇帝クラウディウスの章より抜粋)
ということは逆もまた然りという事か。 「無能なトップの下には無能な部下が集まる。自分自身に才能がない人は、才能無き他者にも不寛容なのだろう。」 最後の行「才能無き他者にも不寛容」→「才能あるものにも不寛容」とすれば、逆もまた真といえる気がする。そうすると逆ではないかな。 今、ようやく皇帝クラウディウスの章に入っている。今日、読んでいたのは秘書官の起こりについて。どんな制度にも弊害はある。 作者はカエサルへの傾倒から帝政を非常に評価する立場に立っている。今回の副題が『悪名高き皇帝たち』となっているように、歴史家たちからは非難された皇帝たちの時代を描いている。批判もするがどちらかと言えば、弁護の姿勢だ。 どんな場所にも問題は存在する。どんなに整ったシステムの中でも、完全ではない。しかしシステムなど存在しない中では、どのような物事も立ち行かなくなる。常に状況に合わせた形態をとる事が必要となる。考える空論だけはタダだ。安いもんさ。 しかしローマの帝政、ワンマンとは異なる感がある。カリグラの殺害のような事件が東洋に存在しただろうか。ありそうだが、すぐには思い当たらない。なまくらになったものだ。 一人に全てを委ねるなど、その人間が常識を超えた能力を持つものでない限り、不可能だ。他者を信頼し、然るべき部分は委ねることこそ、大切だと思う。 電車の中、往復の間、読書を習慣づけたいと努めている。せいぜいあって40分程度。しかし何もしないよりはましだ。 思考こそ生きる上で大切なもの、生きている証。善く生きよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/05/09 01:32:26 AM
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