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カテゴリ:日常
自分は今、憧れとなるような先輩がいない。
ある人に言われて、努めて探すようにはしている。 しかし自分の性格の悪さもあるのだろう。見つからない。 自分は人、というか物事全般、のあらさがしをして、それを見下してしまう、悪い性根がある。 まさに性根が曲がっている。 そんな自分でも、子供の時はいつも目の前に目標がいた。 兄だ。 兄が剣道を始めれば自分も始め、 兄の遊びに行くところにはついて行き(これは小学生の時点で煙たがられた) 大学を選ぶ最後のひと押しになったのも兄だった。 兄は私にとってのヒーローだった。 自分は兄に惹かれながらも同時に反発した。 兄が理系なら自分は文系。 兄が社交的なら、自分は内向的。 兄が反抗的なら、自分は柔和な路線で行動した。 根底には憧れがあるが、歳が近いせいだろうか反発する感情を否めなかった。 一緒に暮らすことがなくなって話す機会がきわめて減った。 昔は兄貴は近いゆえに見える欠点をズバズバと指摘してくれた。 しかし、今は遠い。縁も遠い。 その年月が流れ、自分は無意識のうちに自分の欠点への指摘に弱くなってしまったのかもししれない。 通常は社会人として上司にいびられ、強くなっていくのだろう。 それを自分は拒否してしまった。 これは将来、自分の弱さとして残る可能性がある。 肝に銘じておこう。 なぜこういう事を書くのかというと、今回、ある関係の人が自分にメールをしてきた。 内容は「日曜日に○○へ行きませんか?」というメールだった。 一度、彼らの集まりに参加したが、正直、学生ノリで、ついていけなかった。 その誘ってくれた人、顔がなんだか若い頃のMr.オクレって感じだからオクレ氏としておこう。 仕事をしている。活動をしている。自分より数段立派だ。 しかし仲良くなるには無理があるように思う。 自分は夜の仕事に従事している。さらに空き時間は自分の勉強に使いたい。今年しかないから。 誘いに対して現状を説明するメールを送った。 帰ってきたのは「了解しました」の一言だった。 事務的、そんな所で文句を言ってはいけないのかもしれない。 自分でも大変な事をするからこそ成長がある。 その人も成長の途上なのだろう。 しかしながら、この付き合いにはいささか期待をしないようにするのが一番のような気もする。 すごい人は中にはいる。でもだいたい雲の上で、話す機会はそうそうなく、残念な気持ちになる。 一番の問題は自分が根無し草であることだ。 根付けば必ず、人のよさが見えてくる。 以前の場所だってそうだった。 出る前になって、やっとなんだか「仲間」という雰囲気になってきたのに、自分は出て行った。 ここでもそうだろう。来たばかりだ。 根付けば良さも見えてくるさ。 最大の自分の過失は一つの場所に根付かなかったことだ。 ならばどんなことがあってもこの地に根を張るべきじゃないか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/05/14 02:03:13 AM
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