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カテゴリ:書評、感想
湊かなえ著『告白』を文庫本で読む。第6回本屋大賞受賞作。気になってはいたが、今回文庫本になっていたので、手に取ってみる。
舞台はある中学校。 理科教師でクラス担任の森口先生が、年度末の退職を終業式に告白する。彼女の娘の死が、このクラスの誰かによって殺された事から、お話は始まる。 (映画も上映されており、内容も精緻にできてるのも一つの楽しみだと思うので、これ以上は省略) 一気読みをする。それだけ人の好奇心を惹きつける書き方をしている。今思うと、少々自分の下卑た野次馬根性に辟易する。この様な構成でなければ、一気読みはしなかっただろう。その点で、作者の巧みさを感じる。 他の人が感想で書かれているように、読後感は決してよいものではない。ただ自分は他人に勧めたくなる。特に老師、熊猫先生には勧めてみたい感はある。まあ、この人たちは読んではくれないだろう。 skyさんの意見が聞きたい。そう思い、読んでもらう。本人の感想として、「小説の中に感情移入できる人物が現れた。」「後ろ2章は作者の読者好みの結末をつけたわざと見透かせる意図が存在する」の二点が興味深かった。 たしかに、聖職者たる森口悠子は非常に似ている。彼女だったら、娘の復讐をするのなら、このやり方をとるだろう。決して取り乱さない。苛烈な炎のような復讐心ではなく、水を打ったような静けさの中にある真空のような鋭さ。一章の性格を見ているからこそ、終章が不可解なものを感じるようにできている。 自分も後ろの2章は、何か嘘が混じっているように感じる。まず、少年Aのほうがそんなに簡単に殺人に踏み切るかという点、もう一点は森口悠子が周囲を巻き込んでの復讐を望むのか、あれだけ一章でピンポイントの復讐を望んでいながら、最後は人を巻き込んでの事件にしてしまう。その点が不可解だ。それによって相手にダメージを与えたいという理由、また、ドラマチックな終焉を望む読者への辻褄合わせ、そうともとれる。 特に、自分が興味を感じたのは、教育に関する森口悠子の見解だ。現場教師のジレンマ、突飛な事件なら注目する社会、それに影響される子供たち、自分以外をすべて見下す子供たち、いたずらの劣悪化。 自分も少なくとも教育に携わる人間として、感じているジレンマ、それを形にしている。 どうして社会は、凶悪な少年犯罪を好奇心や視聴率を満たすだけの恰好の材料としてしまうのだろうか?この作品には、この問題意識が流れているように思われる。 コンクールで優れた成績を収めても世間の注目はあまり引かないが、今までにない突飛な事件を起こせば、世間が注目する「スター」となれる。社会には変な図式がある。 40年間一つの職場に努めつづけ、会社に、社会に、家庭に貢献してきた人は有名にはならない。絵にはならないからだ。政治家のスキャンダル、凶悪事件はワイドショーを賑わせ、世間で一斉に取り沙汰される。まあ、歴史的に見れば、彼らも一瞬の閃光ほどの価値もないが。 心理学からは思春期・青年期の発達段階において、自我の確立が主題としてあげられる。自分の存在を確認したい。その欲求がふとしたことで、特別な存在を発見する。同い年で社会的に騒がれている人物。それがけっして素晴らしいものでなくても、特別な存在と感じれば、それに憧れを抱く。 マスコミ世間で騒がれているものが、必ずしも素晴らしいとは限らない。自身の眼で判断する、判断できる力、それこそが自己の確立ではないかと思う。その点を育むべきではないのだろうか。 そんなことを考えた。 【メール便対応】湊かなえのデビュー作!!【告白】(文庫) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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