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カテゴリ:書評、感想
塩野七生著『ローマ人の物語38キリストの勝利<上>』読了。
文庫本で、かなり小さく分けられているので、読みやすい。 まあ、出版社の商魂を感じないわけではないが。 好い本は多少高くても買いたくなるのは人間の自然だろう。 コレクターは自分の収集物が整然と並んでいるところをみて楽しむと言うが、 自分もそれに近いところはあるかもしれない。 本が整然と並んでいる様に「美しさ」を感じる。 本を売ることが出来ないのも、そのせいだろうか。 しかし背表紙から何も物語ってくれない本は、いらないと感じる。 自分が読んだときの感情、実感、思い出、あらすじ、内容、 それらが浮かんでこないものはよい本であるとは思えない。 今回の「キリストの勝利」とはどういうことだろうか。 前章、「最後の努力」読んで、だいぶ経過しているので、うろ覚えだ。 たしか前章はコンスタンティヌスまでだった。 今章の冒頭で、コンスタンティヌス死亡、大帝という称号が送られる。 その後、後代に引き継がれるが、犯人不明(作中ではコンスタンティウスか?と推測されている)で後継者が謀殺され、コンスタンティヌスの長男と三男が争い長男死亡、三男も部下の裏切りによって殺害。 のこるコンスタンティウス(まぎらわしい…)がローマを支配。父の遺志を忠実に守り、キリスト教の力を強める。 マグネンティウスの乱を鎮め、東方守備を任せていた副帝ガルスが使えないため処刑。かと言って帝国は一人で支えられないので、ガルスの弟ユリアヌスを副帝にする。 副帝ユリアヌス、蛮族平定、ガリア再興において功を為す。後半はすべてにおいて失敗はしながらも率先して先頭にたち、奮闘する青年副帝と、戦場は常に部下に任せ、権威と畏れで内気な性格を隠す絶対君主との対照で話が進められてゆく。 中巻が楽しみ。 宦官。 西洋の歴史にも彼らの存在があることを知らなかった。 てっきり中国の歴史にだけ存在する人たち、そして腐敗、末期王朝の代名詞かと考えていた。 コンスタンティウスの下に宦官エウセビウスという人物が登場する。 中国の歴史に登場する秦の趙高や後漢の十常侍を想起させる。 西洋の歴史に自分は非常に疎い。 高校では世界史を選択できないカリキュラムになっていたし、当時の自分の関心は中国だったから。 それは多分、司馬遼太郎や陳舜臣が好きだったせいもあるのだろう。 そう考えると自分の関心は、文学にあったのか、歴史にあったのか? ただ無味乾燥な事実の羅列、訳の分からない分析などは読めない。 最近、国際関係の研究書を読むのだが、マスコミの論説とこれらはどう違うのだろう? その点がはっきりしないと、論文がかけない。 まあ、書いて否定されて分かるのかもしれないが。 続きを楽しもう。 ローマ人の物語(38) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/09/06 02:26:37 AM
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