テーマ:介護・看護・喪失(5315)
カテゴリ:我が家が今日に至るまで記録
本日2本目の我が家が今日に至るまで記録です♪ (現在 約10年前の話です~・・・) 2008年3月2日 今まで 居た病院は 脳外科としては県でも有数の病院で 居るだけで 安心感があったのですが 三ヶ月越えれば 追い出されて 次に 変わった病院は 家から 近いものの イマイチ 信頼感がない病院・・・ それでも すぐ自宅に戻るには 心配だったので そこで入院することに・・・ そして そこで一ヵ月ぐらいお世話になったでしょうか? 退院することと なりました~ とても 以前のように戻った風には 思えませんでしたが 治療することがなければ 病院って 追い出されるんですよね 家に帰ってきたものの 手放しで喜ぶことは出来ません 当時 無職だった私は 専属介護士となり・・・ ・・・といっても 体は不自由ではありませんので ご飯食べさせたり オシモのお世話をしたりとかではありません クモ膜下出血の後遺症は 頭の中でした その時は まだ気づいてなかったというか 認めたくなかったというか 日にちが経てば 治ると信じてたんですけど 認知症ですね~(当時は まだ痴呆症と呼ばれてましたね) 家に居てくれればいいのに 出てっちゃうので 追っかけたり 探したり 大概 近所の友達の家や 自分トコの田んぼを見に行ったりなんですけど 当時26歳だった私は いろいろなことを考えていました 母がこういう状態になっていって 距離を置きだした近所の友達 とても親しくしていたのに・・・ 反対に そうでもなかったのに やさしくしてくれる人 おっとりしたものの会話も 体も普通である母 『寝たきりとか 体が不自由にならなくて 良かったね』 と言われるたび いっそ 体が不自由なら 追っかけなくても良かったのに とか どこも 悪いように見えないから 買い物行って お金払わずに 帰ってきたらどうしよう とか 毎日 そんな心配ばかりで 疲れてしまいました (一番上の姉は 仕事に行っているから ノータッチ 私は家事手伝い状態だったので 家のこともやっていました) クモ膜下出血が起きた時 母は 二階から一階の私の所に 助けを求めに来ました 『死んでまう~ 頭が痛い~』と言って。 そして 普段隠してある通帳や印鑑の在り処も言いました ホントに死ぬと思ったんでしょう 私は それを思い出しては あの時 助けなければ 私も母も良かったのかもしれない 母も こんな風になって生きるのが いいとは思えなくて また私も 介護疲れで。 まさに ニュースとかで 介護してる夫が妻を殺してしまった ・・・とかの心境です ・・・・つづく ★この日記は 日記の日付と関係なく 空きスペースを利用して 管理人が過去のことをノンフィクション綴ったものです★ 過去の分から読みたい方は カテゴリー我が家が今日に至るまで記録をご覧下さい♪ なお更新は 通常の日記と並行して 不定期にしています~! ●Top pageチワワファミリーまるそらほたゆり&みおさきホームへ ●Bookmarks我が家のChihuahua写真・犬・ショップ for Dog/Cat/Owner) ●Shopping Listお買い物履歴へ ●楽天市場 総合案内所探し物は何? ●DiaryAll他の日記も読む(日記の一覧) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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