子供を育てていると子供だった頃のむかーーーしの今までおもいだしたことがなかったことまで思い出される。息子のおむつをとるときは、お店で息子におしっこをさせながら、、、かかえてちーっとと、、、、とかシーーーーーとかいいながら、そういえば私も母にこうしておしっこをさせられたなーーーーなどということが頭に蘇る。。。息子が絨毯の模様をみながらある図柄に飛び渡って移動しているのを見ると、、、私も父の洋服ダンスの図柄を眺めていろんな想像をしていたことが蘇る。。。。昨日はふと小学一年生だったときに、はじめての父兄参観日に先生が反対言葉をいいなさいということで、、、大きいー小さい 長いー短い、高いー低い 早いー遅い、、、、という質問をしていた。私は反対という言葉の意味を言葉そのものを反対にすると思っていたのでなんでみんなが挙手してつぎつぎに答えていくのが不思議でたまらなかった。私は 大きい → いきおお と答えたかったのだ。反対言葉というのはあまり良い表現ではないと現在でも文句をつけたくなる。。。反対言葉ではなくて 反対の意味の言葉とでも先生がいってくれれば私は容易に理解していただろうと思う。。。。。でもその経験のおかげで私は小学一年生にして自分の頭脳が人様とは異なる、、、アブノーマルであることが幼心にもなんとなくわかった。良きにせよ悪きにせよこういうちょっと変わった思考と発想をする人は日常生活で一般的な受け答えに多少苦慮することが多々あると思う。私が教師という職業が好きだったにもかかわらず長続きしなかったのは結婚もあったが、私の多少人様とことなった思考回路というのも原因があったと思う。今イランにいていいとおもうのは私が一般常識にはずれた行動や発言や、受け答えをしても外国人だから、、、ということであまり大げさにされないことだ。日本にいたら少なからずいろいろ人付き合いで苦労したかもしれないと思った。