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カテゴリ:私見
私は今月8日の記事で以下のように書いた 無理をしても続かないもの 2008年の6月から2009年の6月までの1年間の日本滞在期間に 私がその時までの9年間のイランでの生活を振り返って出した結論だった。 私はそのとき、10年近く背伸びして、そしてそれを今後もずっと続けていくのが無理だとわかって ここに骨を埋めるんだったら、もっと自分らしく、気楽に生きたいって もっと自然体でここで過ごしたいと思ったのだった。 それを・・イランに戻ってきてから実行したら、 ものすごい出来事が沢山起こって これでもかってぐらいに心臓に爪をたててひっかかれ 私の一番嫌いな音をたてられ悲鳴をあげてしまった。 2010年の年末と2011年の年始は 自己爆破寸前 の 自己破壊 を経験した。 それでも私は 自分らしさ と イラン人の因習 みたいなものとの 狭間 で 中庸 を求められているし、その 限界点を模索している段階 なのか? 結局は・・・・ ここしか居場所がないからなのだろう。 息子がいなかったらもちろん、そんな気にならなかったのだろうけれど。 以上8日の記事 嫁ぎ先の一部になるのは大変なことだと思う。 これは国際結婚だからという部分もあるけれど、、、 日本人同士の結婚も然りだと思う。 一部というか部分になるというか染まるというか、 視覚的にいうとジグソーパズルのワンピースになるってことか? なぜ大変か・・・ 慣れれば、慣れるほど ワガママ が出るから。 長い間片方が我慢していてバランスとっていて それができなくなると私のようなことになるのだとおもう。 一度はすんなりとはまったワンピースなんだけど、、、、 ある日、、、地震のような振動で歪みができて ピッタリと噛み合わなくなってしまったらしい。 でも私が本格的に 自分自身と運命 サダメ と戦うのは・・・もう少し先か? いつとはいえないけど、、、変化が訪れそうな2年後ぐらいなのか? 変化の兆しはある。 でも自分がその時にどういう気持ちになりどう判断するのか まったく、まったく、まったく予想はつかない。 それはそれで ショウガナイ のかも。 ただ自分は今後どうなるんだろう、、、、て思う。 でも 本当に先がわからない!!!! だからこんな曖昧な形でしか書けない。 私はたぶん自分を押し殺していたんだろうと思う。 結局・・・自分を押し殺させていたのは、そうさせていたのは 自分 なのだ。 だからそれを解くのも 自分の手 でなくっちゃいけないってこと。 外部的要因は要因に過ぎない。 外部的要因に対して、自分を押し殺すように命じていたのは 自分 なのだから。 それによって 人に好かれていた 良い人でいた かわいがられていた というプラスの面もあったわけ。 それがないと ここ ではやっていけない、 一人ではどうしょうもない と思っっていたからなのだろう。 自己防衛本能の一つなのだと思う。 でもそういう ここ(イランでの生活に限らず私の結婚生活という意味) っていう大前提が、、、 たぶん去年の末の出来事でものの見事に ぶっ壊れた。 私の両親、、、とくに父は私の結婚を心配する気持ちが大きかったから 彼らに心配させたくない、離婚だけはしたくない って気持ちもあったのだろうと思う。 それもちょうど時期なんだ というように、2009年の10月に父が亡くなった。母は2002年2月に去。 そっちのほうでの私の 足枷 も解けていたとおもう。 私が離婚することで 両親が心を痛めることもなくなったと・・・ そんな二重の理由から・・・自分を解き放つ加速度が増したのだと思う。 まあ・・・・離婚を覚悟したのは確かだけど、そうなる前にも予兆はあった。 心の変化における どっちが先でどっちが後か は なかなか判断がつかない。 しかし、現在でも・・・ ここ っていう大前提は壊れたけど、まだ 息子 が私を抑え、つなぎとめてくれている。 でなかったら、、、私は・・また・・・得意技の ぶっこわし を今年の始めにしていたんだと思う。 自分の人生の土台をぶっ壊してまた全く別のとこから 一 から初めていたのだとおもう。 私は元々はそういう人間なのだ。 無鉄砲、向こう見ず。 苦労して積み重ねた積み木を、、子供が楽しそうに、自らの手でグチャグチャにしてしまうところがある。 でも 息子がそうするのを引き止めてくれた のだと思う もちろん・・・ 息子の存在が自分にとってどんなものなのか? 現在、私にとって大前提であることは確かだけど、 それがいつまで大前提なのか? そのあたりは自分でも定かではない。 もちろん大前提は 自分自身の基盤 とも言える揺るがないものだから そうそう ぶっこわれる ものではない。 でも 大きな衝撃 があれば 粉々に崩れるだろう。 たとえそうであっても、大破したとしても 今の私には分かる。 最後には 自分の足で自分の道を歩む だろうと。 人とは なんて脆いものであり また なんて強いものなのだろうか と。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年12月14日 20時43分47秒
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