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カテゴリ:私見
親子関係においては、 相手を別の人格の人として扱う視点が大切だと書きましたが。 夫婦関係においては逆に、 相手を自分の一部、あるいはそれ以上に思う視点が大切になってくると 私は思っています。 相手の一部を恥部とする。 相手の恥部を自分の恥部のように隠し、守ってあげる。 夫婦はある部分で、それ以外の人には見せられない部分を 互いに見せ、見せられ、受け入れ、受け入れられるところがあったほうが その関係を良くするのではないかと思うのです。 そして親子関係のところでは、根っこの部分がくっついている と書きましたが、夫婦関係においては 運命共同体(これはある方がおっしゃった言葉ですが)と言った方が、 相応しいかと思います。 同じ城、同じ砦(城とは、夫婦関係であり、彼らの子供を含めた家庭なのですが)を、 守るということだと思います。 そこを脅かす敵や侵入者を見つけた場合は、それに気づいた時点で一人で、 あるいは共同で戦うべき関係にあるのだと思います。 その行為とは自分を守り、相手を守り、双方を守るためだと思います。 だから、夫婦関係には自由よりも、相手や家庭に対する責任や義務が、 重くのしかかるのだと感じています。 でもそれを怠ると、城は占領されるか、破壊されます。 なぜこのように夫婦においてはその関係を 守る という努力が必要なのか? なぜならば、子供との縁は切りたくても切れないものですが、 夫婦の縁は・・・ 紙切れ一枚の重さしか、実質的には存在しないからです。 それは憲法が謳っているように、両性の合意を基に成立しているもの だからです。 だからこそ 美しい とも言えます。 そして、親子でも、夫婦でも、その関係の元に、中心にあるべきものは 愛 と呼ばれるものなのでしょう。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年01月06日 18時09分30秒
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