私は 昨日ご紹介した ひなたぼっこねこさんの記事にも
いいな~~~~~と惚れぼれすることがあります。
彼女の文章は 姿のない風の通り道をみる 思いがするの。
タカ母さんこと おばば の記事も大好き。
なんとも言えない、懐かしい香り がする。
そして、語り口が独特でついつい惹き込まれていく。
そしてTEAセンセは
この人ほど FARCE の上手い人はいないと思う。
FARCE とは 茶番狂言 などという日本語はあるけれど
私はTEA先生には FARCE という言葉が一番ピッタリだと思う。
FARCEについては 坂口安吾大先生の ”FARCEに就いて”に詳しく述べてあります。
ちょっと長いんですけど引用します。
ファルスとは荒唐無稽をその本来の面目とする
中省略
ファルスとは、最も微妙に、この人間の『観念』の中に踊りを踊る妖精である。
現実としての空想の_ここまでは紛れもなく現実であるが、ここから先へ
一歩踏み外せば本当の『意味無し ナンセンス』になるという、斯様な、
喜びや悲しみや嘆きや夢や嚔 くしゃみ やムニャムニャや、凡有(あら)ゆる物の
混沌の、凡有ゆるものの矛盾の、それら全ての最頂点(パラロキシミテ)に於いて、
羽目を外して乱痴気騒ぎを演ずるところの愛すべき怪物が、愛すべき王様が、即ち紛れもなくファルスである。
中省略
ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。
凡そ人間の現実に関する限りは、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、
トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。
ファルスとは否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらに又肯定し、
結局人間に関する限りの全てを
永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。
諦めを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と言ったもんだよを肯定し_
つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、
途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、
しかし決して矛盾を解決することにはならない、
人間のありのままの混沌を永遠に肯定しつづけて止まない所の根気の程を、
呆れ果てる根気のほどを、白熱し、一人熱狂して持ち続けるだけのことである。
哀れ、その姿は、ラ・マンチャのドンキホーテ先生の如く、頭から足の先まで
Ridiculeに終わってしまうとは言うものの、それはファルスの罪ではなく人間様の罪であろう、
と、ファルスは決して責任をもたない。
TEA先生はこれが実に上手い!
喜劇は悲劇よりも難しいと私は思っています。
私は FARCE 的な文章 を日本人作家の著作にも見たことがない。
(・・・っといっても私はもう長い間日本を離れ、新しい活字を見てはいないけれど・・・)
彼女の記事にはそれが豊富に溢れているの!!
ぜひご一読願いたいと思います。
今日はでも、、、そんな彼女の最大の特色のFARCEとは別の趣の記事を目にしました。
彼女のこういう部分にも私は惹かれます。
以前彼女ではなく、ある方のブログに私はこう書きました。
TEA先生は、女にしておくのはもったいないほどの
度胸のある、肝の座った人。
身震いするほどのプレッシャーを、身震いするほどの興奮としてしまう人なんです。
彼女が男だったら 私は惚れないではいられなかったでしょう!
と。
本日のTEAセンセ記事
いいねえ~~~~~っと思わせる文章です。
特に
だから、私は多分、彼女に
「先生のところには通いません」と言われたくなかったんだ
と後から思いました。でも、言われることもあるのがこの仕事。
そういわれたときの自分の残念さを見越して、
ゲームや本やCDといった、代替物を私は私のために用意したようでした。(笑)
ここがいい。
私とすごく似ているのです。
自分ではどうしょうもないことの 最悪な結果 を見越し、それに対する
自分の扱い方 を知っているのね。
それは 自分の弱さ を知っているということ。
私はこういう人が好き、大好きです!!
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