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カテゴリ:言葉
解放 私たちは、 ”私だと思っている私”を通して 私が見ている っと思っている風景や世界を見て、 私の身体 っと思っている”身体”を通して感じている。 しかし本当は、 こんなに病が苦しいのは、”私の身体”だと思っている身体の上のことであり こんなに状況が悪くて 私は辛くてしょうがない っと思っているのは、 ”私だと思い込んでいる私” の上に感じているだけに過ぎない。 風景を、世界を見ている・感じている と思っている私は、”私ではない”。 私の体だと思っているものは、”私の身体ではない”。 ただ そう思い込んで、そう感じているだけ。 本当の私は病に患うでもなく、辛くもない 病も、苦悩も、煩悩も、私という心の鏡が映しているだけ。 それ(個という私・私の病・私の苦悩・私の煩悩・私の身体)は映されて、 絶え間なく流れていく映像のようなもの。 それは私だと、世界だと、思い込んでいるものであって、 私でもなければ、世界でもない。 それは夢と同じようなもの、夢も現も同次元のもの。 本当の私は”鏡”であり、”鏡が映しているもの(夢でも現でも)ではない”。 ただ惑わされ、幻想を実在と錯覚しているだけ。 世界の中に私が存在するのではなく、真の私の中に世界が存在する。 それは流れる映像の中に鏡があるのではなく、 鏡の中に映像が流れるが如く・・・・ 今 ここ に私が存在していると 私が思っているだけで、 私は 今 ここ に 身体と心を持って存在してはいない。 それ故、今 ここ の誰も、何も、真の私を煩わせることも、影響を及ぼすこともない。 今 ここ という 時間と空間でさえ 真の私を縛ることもない。 鏡はそこにあるだけ。 今 を映すだけ。 そして真の私もただ 鏡の如くに、 そこに ”ある” だけ。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年10月10日 15時30分42秒
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