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カテゴリ:私見
”心は魔物” 説法などで、心を無くせといいつつ、善行を勧めるのが私にはよくわかりません。 死後には何も持っていけないといいながら、唯一為した善行は持っていけるということらしいのですが、 では、善悪は一体何ではかりますのん? ”ええあんばい は 天に全面委任すべし”と記事に記したように、 ”自我ではかる善悪は、偽善でしかない”と私は思ってます。 なぜなら、善悪がはっきりしていたら、この世に戦争はなくなるし、喧嘩も揉め事も一切なくなると思いませんか? でも今まで世界で戦争がなくなったことってあります?喧嘩はこの世に存在して当然の現象では? この部分にこうやって、手に負えない酔っ払いみたいに深く私が絡むのは、 善行を為せ!って偉そうに、簡単に人に勧めることが、私にはどうにも我慢出来ないからなんです。 簡単に善行なんて勧める人は数多くいますが、その超簡単な”善悪の判断”で私は死ぬほど苦悩しました。 (2回程、棺桶に足突っ込んで戻って来たかな) もう言葉にも何もその想いを表現することができないぐらい、苦悩しました!!! このために全てをぶっ壊されたと言っても過言ではないでしょう。 完全なる”私”の敗北宣言です。 そして、”その時・その場になって心ではなく、身体が勝手に動く現在だけで十分である” というのが、私の行き着いた場所です。 私たちは意識して良い方へ持っていくこともできないし、良い方という”良い(善)”というものも”私”には判断不可能です。 もう偽善も努力も懲り懲りです!というのが私の本音なんです。 だからこそ、心はいつでもぬるま湯にゆっくり、どっぷり浸かっていていいんだと思えました。 だって、サダメが努力せい!っとお達しになったら、否応なく、無抵抗に、身体は勝手にそう動くし、 心も勝手にそういう方向へ向けさせられますから。 心は魔物です。人様からみて天国だと思う環境にあっても、心が地獄ならその人にとっては地獄で、 逆に心が天国なら、どんなに過酷な状況でも、その人は天国にいるのと同じです。 だったら、いつでも心はぬるま湯に浸かっていればいいんではないでしょうか(ヤケクソの居直り)? それでも軟弱な私は、サダメが定めた道を通りながら、心が戦闘モード、過酷モードにスイッチが入ってしまい (サダメにスイッチを入れられてしまうという方が正確な表現かもしれませんが) だからこそそういう時は、ああ、この心(戦闘・過酷モード)は単なる心、気分であって、いずれは静まるものなんだ、、、 っと深呼吸しつつ、そう言い聞かせることにしています。 私の姑も夫も素晴らしく良い人なんです。でもね、それでも人は、いざという時自分を守るために、何かを守るために、 簡単に”お前が悪かったんじゃない?”って彼らの善悪で私を批判するんです。刃(やいば)をむけるんです! どれだけ私の心はそれに傷つき、虚しさを感じたことか。一生懸命善悪とは何か、自分を突き放して苦悩してもこれが結果だったんです。 私はそういうものにもう、うんざりです。 だから、彼らの善悪判断を、私は心で受け取ることは止めることにしました。 積み重なる今だけを見ることにしました。 私も姑も、舅も夫も、全ての人は、意識的であっても、無意識であっても”サダメに従っているだけだ”と思うことにしました。 そしてそこには”善悪はない”んです。 その人が”ワタクシ(自我・我)”をとっぱらおうが、とっぱらわなくても、”皆 宇宙の調和”に従って存在しているだけなんです。 宇宙の調和 とか 宇宙の視点からみた善悪 って 自我ではかろうとしたって無理、とても計り知れません。 でもね、本当はみんな 意識していようが、いまいが、 この世にあるものはみんな ”宇宙の調和 宇宙的な善悪”に従って存在している とも言えるんです。 ”皆 宇宙の調和 を 知っている”んです。 逆から言うと、宇宙の不調和 というものとは何か? も 人には測れないでしょうね。 なんでこんなものが存在するん?って思っても、 存在する以上はそれは”宇宙の調和に”叶っているんだと私は思います。 なんでこんなものが存在するんだ?(不調和なものでしかない)って思っても→これもまた”心”の働きなんです。 なんで? っと理由を求めることがそもそもいけない! 妖怪やお化け、幽霊、呪い、霊魂、因縁、人間、社会、他人 なんかを怖れるよりは、、、 自分の心を魔物と思ったほうがよろし。 自分(他人)の心よりも恐ろしゅうものはないと私は思ってます。 自分の心が無くなれば、他人の心も、社会的な要求的シガラミも、因縁も霊魂も、幽霊も、亡霊も、呪いも・・・ 全て消えてなくなり、今まであなたの中に隠れていた”自由・至福”が顕れます。 あらゆるシガラミは、煩悩は、”あんなに怖れ、慄いていたものは、柳が揺れる影であった!” っていう笑い話が如く雲散霧消するんですよ。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年05月29日 18時41分00秒
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