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Maryam's HP 日記

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Hiro Maryam

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2013年06月14日
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カテゴリ:私見




”まことのわたし”


おそらく中学生の頃から私は、

私とは誰? 私とは何?

っということを自問し続けていたのだと思います。


ただし私はその問いを、社会などの外部世界へ向けたことはなかったと思います。
現代社会・その時代の現れ、流れというものに、私は興味がありませんでした。
そのことは以前、記事にしたことがあったと思います。


流動(盛者必衰)的なものには言葉は悪いのですが、胡散臭いものを感じていました。

私の好奇心をそそるものとは、流動的とは正反対のもの、
いつの時代においても、誰にとっても普遍・不変なもの、
いつでもどこでも、変わらず存在するものであったように思います。

そうして思考しているうちに、
”自 は即ち 他である” ”死 は即ち 生である”
と私は思い至りました。
私の中で次第に相対関係が崩壊していきました。
これに関しても以前記事にしました。

最近、私は何をしていても、何を想っていても
何かをしている私、何かを想っている私を、
”映している私”を意識しています。

18~21歳ぐらいの頃もこの傾向が強かったのですが、
当時はまだその意識は希薄というか、中途半端でした。
何かをしている私 は 私の仮の姿 と思っていても
何かを想っている私 こそが 真の私 と思っていました。

心がどうしょうもなく、自我を破壊しようと襲いかかって来た時だけ
”心を突き放して”いました。
そして、数年前にはそんなふうに”身体と心が分離している自分は醜い”
などと想っていました・・・

(自我を破壊しようと襲いかかって来た時だけ”心を突き放して”いました。・・・
今の私なら、これは私が意図的に”心を突き放した”のではなく
これは命あるもののサダメである”防衛本能”であったと思うのですが。)

しかし今は身体だけでなく、心からも放たれました。

最近は 喜怒哀楽している私、
涙を流す私、疲れている私、眠い私 イライラしている私
などの、今・ここに存在していると思ったり、感じたりしている
”仮の私”または”幻の私”を、
どこか別の場所で意識している私のようなもの? を意識しています。

そして、誰の言動も、誰の想いも、私自身の言動・想い(私の仮の姿・心)でさえも、

”どこか別の場所で意識している私”には影響を与えることは出来ません。

こんなことを書いて何をお伝えしたいのか?と申しますと、

私は誰か? 私は何か? という問いに対して、私以外の人・事象 

とあなたが思い・感じているものを抜きにして

現在あなたが意識している”私”というもの、”自我”について、

あなたは説明することができますか?

あなたが所謂”私だ・自我(個我)だ”と認識していることは

果たして、夢の世界で・熟睡している世界で存在するでしょうか?

目覚めていてその時に、見て・感じる世界が消滅した時に存在するでしょうか?

説明することが出来るでしょうか?

とお尋ねしたいのです。

私たちが現(うつつ)と思っている世界は”消滅可能”な世界です。

夢の世界と何ら変わりのないものです。

脳しんとうでも起こしてしまえば、簡単に”消滅”してしまうものです。


(私は大学時代辺りから、つい先ごろまで夢と現の区別があまりありませんでした。

夢を現(うつつ)と思ったり、現を夢と思ったりしてしまっていました。

夢というにはあまりにも生々しい心象を深く残す夢を沢山みました。刻銘に夢を記憶していました。

逆にお恥ずかしいことに、現であっても、トイレにいるときに、急にここは夢ではないか?

と不安になって、用を足す前に壁を強く手で何度も、何度も押してみて、

夢でないことを確認することが何度もありました。

身体感覚の無意識が常習化、するとこういうことがおこります。

私は高熱が出るまで、自分の身体の不調がわからなかったことも何度もあります。

息切れがして、身体が重いな、どうして唇がこんなに荒れているんだろう?

と不思議に思っても生活していて、頬がりんごのようになって、目がウルウルして、

人様から 熱があるんでしょう? と教えていただいたことが何度もありました。

今でも忘れられないのですが、大学三年生の6月には、

何時も通りに、お風呂屋に自転車を飛ばして出かけてお風呂を済ませたものの、

洗い髪をドライヤーで乾かすことができず、家に戻ってきた途端にベッドに倒れ込んだことがありました。

その後に及んで自分が発熱していることにようやく私は気がついたのです。

年齢とともに体力がなくて、息切れだけでなく、動悸が加わって、ああ、熱がでるんだな・・・とわかるようになりました。

しかし実に・・・夢と現の違いはこの身体感覚だけなんです。)


他人、社会という外部的なものと比較、対象しなくても

心で”私”とは誰か?何か? と思考して、見つかる私もまた、

”仮の私・幻の私”でしかないです。

心で思考しているうちは”私”は掴んだとおもったらまた浮かび上がってきて、
数えられないほどの”私”がみつかります。

その姿は、インコが鏡に映る自分の姿をいきりたって突っつくように
私は私の幻影に惑わされ、真剣にさせられてはその私の姿は消え、
また別の私が浮かび上がってくるのです。

結局私は二十の頃から、心で一生懸命
自分と向き合って浮かび上がっては消え、また浮かび上がってくる
いろんな私を、どれもこれも私であると受け入れるようにしてきました。

もう一度繰り返します。心で”私”とは誰か?何か? と思考していても、

そうして見つかる私は”仮の私・幻の私”でしかないのです。

心というものが・・・香りのように、漂ってきては消えていくようなものだからです。


********************


しかし、


完全に眠っていいるときにも、夢をみているときにも、あなたは”わたし”を意識しているはずです。


1.目覚めている世界(身体・五感 プラス 心 の世界)

2.夢の世界(心・心象・精神 の世界)

3.熟睡の世界(身体も心も機能していない世界、五感も心も機能していない世界)


この1・2・3の状態を通じて、あなたは”わたし”を意識しているはずです。
昨夜は夢もみないでよく眠った! っと認識できるということは、
3の状態でもあなたは意識があったという証明ですから。


夢や、熟睡の状態以外でも、私は、意識不明・死 と言われる状態でも”わたしの意識”がありました。


1・2・3の状態を通じて意識している”わたし”、この意識こそが”まことのわたし”なのです。

しかし、残念ながら、この”わたし”は1の状態のときに於いては、
自我とか個我とか言われる心の作用と、身体・心で認識する現(うつつ)と言われる世界が視覚を通して広がっているために、
すっぽりと深いヴェールに覆い隠されてしまうのです。



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Last updated  2013年06月14日 05時40分44秒
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