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カテゴリ:私見
20010814-1 posted by (C)maryam f d 無我の境地・・・ という表現は語弊があるように私は想う。 無我という表現は、 我が無くなり、彼(他)だけが残るような印象を与えるが、 もし無我という表現に沿ってこれを説明するならば、 無我とは即ち、彼(他)の消滅 でもある。 しかし、 私の感じる 無我の境地 のイメージを言葉に表現するならば、 無我の境地とは、 我の中に彼(他)をみる 彼(他)の中に我をみる 両方の個別性を両側から抽象化させた世界。 従って、我も彼(他)も存在し、 また、我の中に彼(他)だけでなく森羅万象をみ、 同じように森羅万象の裡に我(彼)をみるもの。 森羅万象の中には 大いなる力 さえも含まれており 我の中に神性をみる とは 我を神と重ねるのではなく、 我という存在を神に帰属させるものであり、 その点に於いて、 無我とは一神教の性質 を備え、 先に記したように 我の中に彼を、神を感じ、 森羅万象の裡に我を彼をみ、神をみ、 この点に於いて、無我とは多神教の性質 をも備えている。 この謎の答えには 相対性の破壊・・・ 我 っと”思い込んでいる”ものと、 我以外のもの っと”思い込んでいる”社会や世界、空間、夢、神 というものを仕切る壁(=個我)の崩壊 が潜んでいる。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年10月01日 18時01分49秒
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