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カテゴリ:言葉
IMG_4399 (640x480) posted by (C)maryam f d あまんじゃく ココロは己と同一・・・ という認識が当然であるぐらいに ココロを己と同一視しない・・・ というのは”ワレ”にとっては当然のことである *** *** *** 死後の世界 っと言われているものさえ”ココロの仕業” *** *** *** ワタシの羅針盤(みちしるべ)は ココロでも精神世界でもありません ワタシの羅針盤(みちしるべ)は ワタシの手足であり カラダ です <追記> カラダはそれこそ 高次元 とは全く逆の存在 です。 だからこそ、ワタシは幼いときから30年以上もの間、 ”カラダに縛られている”と感じていました。 カラダが脱げたらどんなに良いだろうか!と。 理性と、肉体の欲求、本能とも言えるものは相反し、 理性は高次、肉体は低次 と考えるのは承知しております。 でもワタシはそこ(カラダは低次と決め付けること)に落し穴があると感じているのです。 勿論、カラダは低次元です。それは否めません。 但し・・・低次元に存在している限りは、 ”現象の存在としてのカラダ”を元に高次元にリンクしてもいるのだろう っと想っています。 (カラダと同じく本能も低次元のものと思い込みがちですが、 本能もまた高次元とリンクしているのだろう、、、とワタシは想ってます。) それは ”カラダの反応を、ココロをボケ~っとさせて カラダもココロも眺めてみる” っとなんとなく感じられました。 今 という一瞬しか確かなものはない っということも感じられます。 これはいくら言葉で説明しても堂々巡りです。 ワタシは自分が感じていることを言葉にしているに過ぎません。 そして、言葉にするのは一体何のため?と自問してみたところで、 答え はみつからないでしょう。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年10月10日 05時57分37秒
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