|
全て
| 家族
| お料理
| 建物
| 天候
| 行事
| 旅行記
| イランの生活用品
| イランでの生活
| 趣味
| お店
| 病気
| 追憶
| 言葉
| 私見
| 事件、事故
| 幼稚園・就学
| 社会問題
| 夢
| 翻訳
| 楽天プロフィール
| おとぎ話 ”春”
| 短歌・俳句如きもの
| English
| ひとりごつ
| 2014来日記
| 奇譚
| 詩
| Picturesque views from my eyes
| 波風の逢瀬
| Short stories
| ジョーク
| 素描
| レビュー
| こたふこだま
| 2017年来日記
| 私のお気に入り
| 2019~2020ふゆやすみ
| バイト
| 新型コロナウィルス
| フランス語
| 螺旋 こたふこだま
| Instagram
カテゴリ:私見
DSC04932 (700x525) posted by (C)maryam f d 相対関係が希薄になってきている とは、 自と他の境が曖昧になってくることです ・・・ っと書くと それは、家族と他人の区別がない っと思われるかもしれませんが、 そうではなく、家族を他人と同じように軽んじるっていうよりは、 家族も他人も”己”と変わらなくなる っということだろう と私は感じています。 ねえそこのアナタ!って私が呼びかけたい時、 ねえそこのワタシ! って表現したくなるわけです。 実際にこれをしたら、気持ち悪くて、超変人ですけれど。 だからといって、誰彼に対して親近感がわくという意味ではなく、 誰も、彼も、私をも ヒト として一括りに扱う、 個性や独自性を削り取って、普遍化させ、抽象化させる・・・ 自画像も、誰それの肖像画も、 すべてピカソが描くような ”ヒトらしきもの” というイメージとして扱うということ のような気が、私にはしております。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年11月06日 04時55分14秒
[私見] カテゴリの最新記事
|
|