以前にもこんな記事を書いたことがあったのだけれど・・・
父が望んでいたこと
私は両親と縁が薄い娘だった。
これは・・・大学生の時、まだイラン人に嫁ぎ、
イランでこんなに長いこと生活する、、、なんてことを
全く私が想いもしなかった頃
無料で手相を見てくれたおじさんに
いや~~~、親との縁が薄い子だねえ・・・
っとボソッと言われたことでもあった。
父とですか?母とですか?
っと尋ねた私に、
両方・・・・ っと、そのおじさんは答えたのだった。
両親と縁が薄い・・・
それを自ら望んだ部分も私にはあったので
スマナかったなあーーー
と思う。
高校を卒業し、都内の大学に進学した満19歳になる少し前からは、
両親とは年二回会うのみとなってしまった。
卒業後に4年間働いて、そしてイランへ来てしまった。
子供が大好きで、孫を楽しみにしていた母は、
むすこが生まれる(私はなかなか子供を授からなかった)前に
交通事故で急逝、私が32歳になる前のことだった。
父は私が40歳になった年に病死してしまった。
夫の父のほうが、私の両親よりも15歳以上も年上だったので、
我が両親はまだまだ健在っと私は思い込んでいたようだった。
父が亡くなった数年後には、義妹の旦那さんが、我が夫と同じ年だったのだが、
42歳で急逝してしまったこともあり、
人の寿命は年齢とは関係ないもの っと現在の私は思っている。
まさかこんなに早く二人とも逝ってしまうとは・・・
っという気持ちとともに、
もっとこうしていれば、、、っと
後悔の念も多々あったのだが、
これまで夢の中で両親に逢っているうちに感じたことがひとつある。
身とこころ 我(われ)健やかに 居ることぞ 父母在らずとも 能ふ孝行
私がこのように思った理由は、
両親は亡くなっても、私が強い悲しみや、怒り、憤りをもって生活していると、
それがはっきりわかるようで、
彼らの魂は、悲しんでいる私の傍らに、
しばし留まることがあったからだった。
死後1・2年の魂はまだまだ、
この次元に近いところに存在しているような気もしている。
2010年の年末から2011年の間は、
両親、とくに2009年になくなった父が
頻繁に私の夢に現れていた。
私は2011年2月、母の命日の近くに夜中に目が覚めて眠れなくなり、
そのまま、 あゝもうすぐ母の命日ね と 母のために祈っていたのだが、
その時にはっきりと父の声と、父の存在(エネルギーのようなもの)を感じた。
詳しくかくと、、、父の声を聴く前に、あれ?父が来てない?
っと父のエネルギーの方を先に感じたのだった。
父は、笑ってふざけているような感じで
あれ? オレのためには祈ってくんないの?
っと言ってきた(伝えてきた)のだった。
私も( ̄∀ ̄)としてしまいそうになったけれど、母のために祈っていたので、
こころの中で お母さんへの祈りが終わったら、お父さんの番だからちょっと待っててね
っと伝えたのだった。
この晩は不思議なことに義妹の一人が、私の父の夢をみていた。
彼女の夢の内容は、
彼女の家のベルをならしてやってきた私の父が、
娘の家がわからないから道案内してほしいと言ったので、
彼女は喜んで、私の家の玄関まで案内したということだった。
途中で父は、 孫のためにも何も持ってきてないから 何かお土産を買いたいのだが・・・
とも彼女に言っていたらしい。
私に健康で、和やかに日々を過ごしてもらいたい、
これは、両親の生きているとき、そして亡くなっても変わらることのない願いなのだろう。
これは、自分を省みても同じことが言える、
むすこがいくら社会的地位を得て、出世し、物質的に豊かな暮らしをしていても
心が荒んでいたり、不健康で辛い日々をすごしているんだったら、
大変心配になり、彼の出世や豊かな生活などちっとも嬉しくはない。
それだったら、慎しながらも心穏やかに朗らかに、
健康でいてくれた方が、よほど嬉しいだろう・・・
我に肉体があろうと、なかろうと、
私の、むすこへのその想いは変わることはない、と思うからだ。
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