ようやく座席があいたようなので、ライオン のお店の中へ入りました。
ライオンは、これまた20年近く前に、就職先の先輩が
新橋だったか?銀座だったか?支店のライオンに連れて行ってくれて
ご馳走してくれたことがありました。
その方は私より2年先輩で同じ大学ではありませんでしたが、
私とおなじような私立女子大の英語科(私は国文でしたが)を卒業なさった方で、
就職当初から私のことを大変可愛がってくれて
仕事にしてもプライヴェートにしてもとても頼れる心強い先輩でした。
たった一度でしたが、その時のことが脳裏に浮かんできて
またまた懐かしい、暖かい日本での思い出に、私は包み込まれたのでした。
その日も咳をして、マスクをつけていましたし、
空手をしていて普段は、日本人の通常の2倍、私は喰らうのですが、
酷い風邪からの病み上がりだったので、軽くてさっぱり系のものがいいな・・・とおもい、
日替わりメニューのスパゲティのセットを頼みました。
かにゃママさんも日替わりの定食をお召し上がりになったとおもいますが、
息子はビフテキを注文しました。(全くの肉食男子・・・)
イランでも野菜よりも肉類を好む息子は、大満足、完食してました。
私は全くそういうふうには見えないのですが、
かにゃママさんも私も、 彼女が表現なさるところの 虚弱体質 といえる身体なので、
体調が悪いときほど食べなくてはいけないのに、食べられなくなります。
注文したパスタは、和風でにんにくが効いて、アスパラガスがのってさっぱりと出汁がきいていて
大層美味しゅうごさいました。(かにゃママさんご馳走様でございました<(_ _)> )
食事をしながら再びお話をいたしました。
話の内容は前後するかもしれませんが(昨日の記事で書いた内容をレストランの中で、
席を待っているあいだに、今日の記事のお話だったような記憶がありますが・・・)
かにゃママさんは、しばらくアメリカに滞在なさっていたことがおありで、
帰国したあとは、お嬢様が日本の学校の雰囲気になれずにご心配なされた、
というお話でした。
このお話は私にとっても、息子にとっても、人ごとではなく拝聴いたしました。
息子が高校を卒業するまではイランにいようとは思いますが、
イランの状況や、本人の状況、夫の仕事に関係によっては、
それより前にイランから離れることになるかもしれない、、、という覚悟は
いつでも私達は抱いていますから。
義務教育の間に、またどこか別の国(日本でも)移住し、息子がその国で
就学するとなると、いろ~~~~~~~~んな問題が表面化するというのは確実でしょう。
自分がいろんな問題を抱えるのは覚悟ですが、息子の生活環境が変わり、
私達が関わりにくい環境の中でなかなか解決できない問題に息子が苦悩することになったら、
私はどうするのだろうか・・・ ということなど考えさせられました。
先のことはなにひとつ確かではないけれども、かにゃママさんのご苦労を、
ほんのちょっぴりでも覗かせてもらったようなきがいたしました。
そんなご苦労はなさっても、最近お嬢様はご結婚なさり、
かにゃママさんご夫婦はお婿さんを得られました。
そのお嬢さまのお幸せを、かにゃママさんがどのような想いで、どのぐらい喜んでいらっしゃり、
暖かくみまもっていらっしゃるかは、
かにゃママさんが描かれている、お二人の挙式の油絵の中に、みて感じることが容易にできます。
食事を終えた私達は、渋谷の街の周辺を少しお散歩いたしました。
雨はふっていましたが、私達の身体を濡らさない程度の、
そして埃っぽい都会の街路樹の緑を鮮やかに、息づかせる程度のやさしい雨でした。
渋谷は私の学生時代、就職時代にも頻繁におとづれた場所ではなかったけれど、
それでも、心にのこっている思い出がひとつあって、
雨で色彩を少し濃くした街並みの中に、今のこの時点からはかなり遠くなった景色、
いろいろな人の、いろいろなものの姿が透けて現れては、その影が去っていくような幻を覚えました。
”過ぎし日の 影青梅雨(あおつゆ)を 駆け透けり”
そんなセンチメンタルな私とは対照に、息子はあくまでも自分の欲求に正直?!で
こんなときでもちゃっかりと自分の大好きなゲーム屋へ、かにゃママさんを巻き込み引っ張り込んで、
そして結果的には・・・
を買っていただいてしまいました<(_ _)>
このゲームは去年ドイツへいったときには、ドイツで売っている様式では
息子がもっている日本で購入した3DSでは反応しなかったゲームでした。
ママさんのご好意で、彼は1年越しに自己の欲求を満たすことができました!!!
今度ママさんとお会いするときは、夫も連れて、
パパさんともお会いできたらいいな~~~~~~ などという気持ちを私は抱いて、
渋谷○○○線の前で、かにゃママさんとお別れしたのでした。
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