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Maryam's HP 日記

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Hiro Maryam

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ふるさとへ還る 追記:宙(そら)に還さむ







宙(そら)に還さむ






風神の御目に留まりしか


風 我を ふわり 抱きあぐ



風の子等

我も我もと 寄り集まりて

我も我もと 我を戴(いただ)く



一つの魂(たま)が

我へと流れ

その流れ

しらぬまに

我が身を 無為にあやつり

森羅万象の裡に宿りし

風の御魂(みたま)に まつわりしすべてを

微かな兆(きざし)導(しるべ)とし

ひとつ ふたつ みつ と

我へと 結びつく




風の 欠片(かけら)を 

ひとつ ふたつ みつ よっつ 

眺め 魅入り


我 こゝろの宙(そら)に

其を 還さむ





***************************




空は 宙 であって あらゆるもので満たすことができるもの でもある

っと私は思っています。


これはまったく相容れないことをいっているのではなく

空(から)であるからこそ、 満たす ことができるんです。


そしてそれは偶然であり、必然であり、偶然と必然を超えたもの をも含有してます。


それを想うと、

”視覚的な空 と こゝろの空 の境界線 がなくなる”(ある方からいただいたコメント)


っということに、おそらくなんのなんの不思議もないことを

お感じになられるのではないでしょうか?



もちろん、、、これは空に限ったことではございません。


森羅万象の裡は、 無(空 から) ともいえますし、言葉通り 森羅万象 でもある


っと私は感じております。




”視覚的な空 と こゝろの空 の境界線 がなくなる

その瞬間に私が受け取ったモノがなんなのか”
(ある方から頂いたコメント)



これは、、、 我(己我) という 己(おのれ)を、

そのほかのものと区切る壁が薄くなっているのだと思います。


無我の境地 というのは 己(己我)が無くなって 無 になるだけではないんです。


無我 のなかに ”あらゆるもの・万物を含有すること”なんです。


あらゆるもの と 己 との融合 ではないか?


っと私は感じております。




これについては 無我の境地 と記す弊害について述べた

以下の二つの記事に詳しく記してありますので、ご参照くださいませ。<(_ _)> 



* 無我の境地という表現の語弊1




 * 無我の境地という表現の語弊2









これを 空 ということに関して詩的に表現するならば


空のあらゆる青の、その一つ(の青・蒼・碧)に”還る”


ではないかと思ってます。


そして どこまでも広く高く広がる空と光 と 同化 するんです。


空(宙)と光と同化する ”媒体”となるのは、

美しい空の下にひろがって、鏡のように映し照らしている”澄んだ大海原(真我)”です。




その同化が有す、”偶然と必然を超えたもの”っということにもう少し言葉を添えますと、


これは


相対性の崩壊 ということを意味しています。


空は 宙(そら) であって 空(から)であって、

且つ、あらゆるもので満たすことができる ものでもある



このように境界線が透き通っている状態のときには、



何ひとつ所有せず して、全てを内在させ

満たされる = 満たす ことができます。



なぜ、 満たされる = 満たす となるのか?


なぜならば・・・

そこにはもう、主語・目的語も、主観と客観も存在しないからです。


そこにはただ ”あるがままにある”っということしか、ありえないのです。



そしてそこでは、空・光と同化するだけでなく、

いつでもどこでも自由自在に吹き透る、、、風 にもなることができます。



空が 空(から)であって、且つ、万物(森羅万象)で満たすことができる、

相対性が崩壊(己我が崩壊)した先にみえてくる場所・・・


私はそこを ”ふるさと” だと思っています。


私達はいずれ、その ”ふるさとへ” 帰るのではなく、”還っていく”のです。




*** *** ***


以上記したことを、もっと卑近な例で書き表すと、


私は、夢中、無心になって文章を打っているときには、

自分は、思考している脳なのか?タイプしている腕・指なのか?

はたまた、パソコンのキーボードなのか?わからなくなるときがあります。

(私がこれから記そうとしていることは、私よりも、
キーボードが知っているような気分になるときがあります)


夢中で、Tombak というイランの民族打楽器を打っているときもそうです。

心頭、没頭していると、音を意識している我は

Tombakを打っている我なのか?はたまた打たれているTomabakなのか・・・

我とTombakの境界がわからなくなるときがあります。


空手をしていてもそうです。
集中して、身体を動かしてしばらくすると・・・

我は我なのか?突きをうっている腕なのか?
蹴りを放っている脚なのか? わからなくなるときがあります。


このとき私は こゝろ を 空(宙)に委ねているのだろう・・・


っと私は想うのです。


Tombak



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Last updated  2014年11月08日 01時26分49秒
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