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カテゴリ:私見
ふるさと という原点・ふるさと という我 人には人は裁けず、 自分でさえも裁いてはいけない っと私はおもってます。 あなたもわたしも わたしのなかの別の私も そして、森羅万象、宇宙でさえも 意識するエネルギー(純粋な我)が存在していなければありえません。 土台となる意識がなければ、何ものをも意識することができず 無 です。 そしてこれを逆方向へと考えると、 意識を細分化すればするほど、世界は複雑化し、ややこしくなってしまいます。 ややこしさ を助長しているのは、まさにこゝろ であり 言葉 と言えるでしょう。 意識を単純明快にするためには、 生まれた時から(輪廻を含め)今まで細分化されつづけてきた 己の身体細胞のように細分化され続けてきた意識を ひとつひとつ端折っていって、 細分化された意識の、奥の奥にうもれている純粋な我をみつける旅にでないといけません。 旅 といっても、、、、時間も空間もあるようでないようなもので、 どこまでも遥か彼方、輪廻を繰り返し続けても、 終えることができない旅 っともいえますが、 また、同じように(こんな風に表現してしまうと夢も希望もありませんが)、、、、 己のまわりを飛び回る、己というハエや蚊の飛行のようなものでもないかしらん? っと私は感じてます。 純粋な我 を、単細胞となった意識 を探してください。 それはきっと私にとってのふるさと、 あのいつか夢でみた、禊をした空 に もう一度繋がるのではないか?と私は信じています。 (ふるさとのイメージは、人それぞれ異なるでしょうけれど) 空(純粋な意識の我)は、 どのような気象状況(細分化された意識によって知覚する世界の状況がどんな)であっても、 その(雲や雨や雪、雷雲の)奥には、空があり月があり太陽が あるがままに あります。 そしてそこは、それは、ふるさとであり、 もともと我々は ふるさと を起源とする存在なのですから・・・ 今私は、日本から遠い異国にいますが、 結局は私がいつもこゝろに描いている ふるさと としてのイメージである、あの景色、 広い干潟と輝く海、輝く空 に存在しているのだろうと思っています。 そこがわたしの原点なのです。真に私が存在しているのは、そこなのです。 なぜならば、そこなくしては、 今の私の目の前のすべてのもの(森羅万象と言われるもの)を 私は、意識することも、知覚することも、 全く不可能であるっと感じているからです。
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Last updated
2014年12月06日 09時49分27秒
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