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カテゴリ:Short stories
ある方より ”自分のこころ以外には、なんの証もない想い” (十字架 ~ あなたの説いた愛を背に ~ より) ということについて、 コメントを頂戴いたしました。<(_ _)> 外的要因に変化するものは想いでは有りません。 ひとつのいのちが唯一のように、想いも唯一のもの。 想いに証は必要ないけれどもし有るとしたら、 いのちそのものが証になる のかもしれませんね。 想いが交差したとき、その想いを守り通すこゝろを持つ事かな と私は思っています。 ************* わたしのお返事 想いのような無形のものの証って難しいですね。 それは想いだけでなく、 過去の出来事・・・だけどそれは過ぎ去った出来事になってしまったこと、 などにも言えるかもしれません。 目は口ほどに物を言う という言葉がありますが、 言葉にしなくても、 瞳に想いを込めることもできますが・・・ 何もいわなくても、相手にそれを感じるだけの感受性のようなものがあれば、 瞳を向けただけで、相手はその気持ちを、実際に受け入れるかどうかは別として、 瞳に込められた想いを察知するでしょうね。 もちろんそれは瞳、視線だけではありませんけれど。
証・・・には有形、無形のものがあるとおもいますが、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年01月03日 05時20分48秒
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