最近、thee michelle gun elephant の音楽と知り合った。
はじめて聴いたときに、
彼らの音楽の中には、わたしが学生時代に聴いていた
いろんな音楽の影がみえるような気がしたのだった。
わたしは一曲聴いてあっという間に好きになった。
わたしの耳に馴染みがあるのは、
たんなるわたしの妄想だろうなあ・・・とも想ったのだけれど、
しばらくたってから、
彼らのギターさんのことが気になってしまって、
曲を聴いているうちに、
彼のお顔がすご~~~くみたくなったのだけれど、
彼はなかなか動画の中でさえ顔を見せなかった・・・
彼はおそらくcameraが好きでなく、
おそらく口の重い、なかなか人と馴染めず、
職人気質でギターを弾いていらっしゃる人なんだろうな・・・
などと勝手なことを私は想ってみていたのだった。
その夜、ギターさんのことを調べようとという気になって、
彼らのことをネットで調べたら
彼らとわたしは同世代だということがわかった・・・。
ごく最近まで私は全く彼らの存在を知らなかったのが不思議なぐらい!
そしてまた、わたしが興味惹かれたギタリストさんは、
お亡くなりになられていて、
私は本当にびっくりしてしまったのだった。
彼のご冥福を祈るとともに、
とびっきり素敵なギターを聴かせてくれてありがとう
っという言葉をわたしは伝えたのだった・・・
最初に聞いた時以外は、
ランニングするとき彼らの曲をわたしは聴いている。
彼らの音楽を聴いて走るとあっという間に4キロ完走できる。
そして彼らの曲で走るようになってから、
なんと数分も早く走り終えられるようになった。
ゲット・アップ・ルーシー
G・W・D
キャンディ・ハウス
スモーキン・ビリー
が好き。
シャロン は音楽だけ聴いていた時は、
インパクトはいまひとつだったのだけど、
今日は、歌詞に耳を澄ませながら走っていた。
聞き取れないところもあったけれど、
歌詞に集中して聴いていると、、痛い痛い、痛い。
胸が痛くて痛くて、
突き刺さるような痛さではなく
胸が引き裂かれるような痛みをわたしは感じた。
魂がギリギリのところで、、それでも
絞り出すように 切望 しているのだ。
自分の病みであり、闇である、
それでもその やみ にわたしがしがみついて、
どうにかここに、足を踏みとどめた時、、、
その景色がわたしのどこかに、浮かんできたからかもしれない。
シャロン は 良いとか好き とは、
まだ私には言えない曲・・・
わたしの一番のお気に入りは↓こちら
世界の終わり / thee michelle gun elephant
この曲の全てが好きだけれど、
この歌詞は、、、真髄を見徹しているとおもった。
底なし沼のような、得体のしれない、
すべてを吸い込み、飲み込んでしまうような、
そして、
形があって形がない、それでいて、器(うつわ)である、
女性 というものの 本能と本質をよく見抜いているな・・・
っとわたしは想ったのだった。
こんな言葉がわたしに浮かんできた。
明日この身
戦火に巻かれ果つるとも
孕み産み出づ
おんなてふもの
この詞で歌われているようなところがないと
女性は、戦火はげしく、
悲劇的な、明るい未来などとても描けない
常にその身は死と隣合わせで
明日果てるかもしれない状況にあっても、
みごもり、十月十日も胎児を我が裡で育み、
世界の終わりのような世界へ
それでも我が子を産み出(いだ)すことは
できないのだろう・・・
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