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カテゴリ:私見
ある御方の詩を拝見して想ったこと… もしわたしが失恋したとして、(否嫁姑の確執でも、夫婦の痴話喧嘩でも!!) そういう記憶、思い出、思い出の品などを焼却したり、封印して埋めることがあるならば、 それは 思い出やら過去を、 夢を見ていた のと同じにする為 かな…? っと思った。 (拝見した詩のヒロインさんとは全然違った!!) っとこんなこと書いているわたしは、 変人だろうけれど、 大真面目な気持ちでこれを記している。 過去をなかったことにするのは実に難しい。 過去を引きずり縛られるのは重く苦しい。 かといって悪夢のような過去を、 これは良い人生経験だったのだ などと、前向きに受け取ろうとする方も多いと思うが… ひねくれもの、我が儘者のわたしには、 到底できない…。 過去の記憶は、 そうそう消そうったって消えないし 形だけ焼却、消去したところで、 ハードディスクには残っている訳で、 良い経験をしたんだとか、 人の痛みがわかるようになったのだとかで、 無理矢理痛みを片付けられてしまった記憶は、 かえって歪(いびつ)で不自然のように、 わたしには感じられるのだ… それだったら こりゃ夢のようなものだった っと思った方がいいかな?っと思うのだ。 悪夢のような過去は ありゃ、悪夢だったのよ ! でいい。 夢のような過去は そうそう、うーんと良い夢見させて貰ったのよね〜 でいいと。 もともと過去は、自意識とか、主観でしか認識されないもので、 そう夢と変わんないものじゃないかしら? 同じ過去でも過去を共有したはずの人とは、 時を隔てれば記憶の方も、 案外大きな隔たりがあるものだから。 歴史認識の各国の相違はその極端な例でしょう。 過去はいくらでも良いようにも、悪いようにも夢の記憶のように書き換えられちゃうものね。 だったらその実に曖昧で、胡散臭くもある、 記憶を 過去の ”事実” と 認識せんがために、 前向きに良い人生 ”経験” として、 不自然に刻みつけるより、 夢 と五十歩百歩しか違わないもの、 って思った方が、わたしにとっては自然なのだろうと思う… (過去の痛みは、心にわざわざ刻まなくていい。 見た夢のようにすっかり忘れた方が良い場合だっていっぱいあるし、 思い出すまではありゃ、いつの日だったか見た夢よ っと思っていた方がいい… ある場面に遭遇した時になって、ようやく思い出すような、 ただ身体のどこかで、無意識に記憶していれば充分だとわたしは思ってる…) だって、人は皆同じ時間の流れ、同じ空間にいるようで、 実はそれぞれ異なる己の意識でしか、 時の流れ、過去を含めた万物、事象を 認識できないじゃない? 感受 感じ受け取れるものしか 受け取れないのだ それは最初からサダメられていた という程に 平等である そういう意味では、 その時々、一瞬一瞬の、 時の流れの水かさ、流れの速さ、温度はともかく 人は主観によって人生や世界を認識しているに過ぎない。 真の世界 唯一の世界 なんて ホンモノ はどこにもない。 有るのは その人の 世界観 で 自意識を有する人間の数だけの世界があるだけで、 それがまた、それぞれ の 本物 でもあるのだろう。 その一点に於いて、 われわれは平等なのだろう とわたしは感じている。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年05月20日 02時21分25秒
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