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カテゴリ:私見
”存在を感じていればいる程に その存在との間に 言葉は 意味も必要性をも 失っていく” この言葉は、ある方の文章を拝見して想い浮かんだ言葉なのですが、 こう記した時はまだ、わたしの中で充分に分離、対象化していなくて、 未分化の状態で、これだけの言葉をなんとか繰り出すのが、 その時の私には精一杯でした。 でも、これだけの言葉でしたが、言葉にしたことがきっかけで、 お伝えしたいことは、意外にも大きかったんだ! っということにわたしは気づいたのでした・・・ 言葉で伝えるということは、 わたしのなかに意識的に、あるいは、 あるきっかけがあるまで無意識にでも 存在 していた想いを、 わたしから引き離して、対象化して、それを眺めて 描き(描写、スケッチ)、述べることで可能なことだと思います。 さて、どのような言葉を遣って、どのような表現で描けば、 わたしの中のある風景、ある存在という”想い”を うまくお伝えできるでしょうか・・・ その風景や、存在や、意思が、多くの方にとって 突拍子もなかったり、思ってもみなかったことだったりすればするほど お伝えすることが難しいことになります。 姿も形もない私の裡のある思考、想い、意思、意志というものを伝えること、 その難しさが如何程のものであるか?っと言うならば、 時にわたしにとって、”伝える”っということは、 言葉を覚えたての2歳前後の子供が、一生懸命言葉にならない音をだして、 ンマア、、、とかバアアーーーーーとかいっている姿に、 酷似しているように感じられるのです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年06月19日 04時21分14秒
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