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カテゴリ:私見
しかし… この一生懸命言葉にならぬ想いを音にして発している2歳の子は なんにもわかっちゃいない んじゃなくて 意識が明確になっていない、あるいは細分化 していない ということなのではないか? っと、 2歳児の気分をこれまでたっぷりと味わってきた、 自分のこゝろを傍観してみて、 わたしは、そんな気がしてならないのです。 もちろん40歳半ばを過ぎても、 言葉を知らない!!! っていうこともありますが、 言葉を知らないだけでもないんです。 そしてそこから飛躍して、 わたしはこんなことまで想ったのでした。 万物の存在の根源とも言える ”ふるさと” という処は、 その未発達段階の言葉を覚えていない前の、 意識の中にあるんじゃないかしら? っと。 言葉を遣う ということはそういう意味では、 万物の根源的”ふるさと”から遠ざかることを意味しているのだろう っと。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年06月20日 15時34分52秒
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