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カテゴリ:私見
”ふるさと” はもともと みな知っていて、 そこからやってきて、還って行く処なのですが・・・ 3・4歳ぐらいになって自意識が芽生える、 意識が細分化し言葉を覚えてしまうと、 岸からどんどん沖に流されるように遠ざかり、 わたしたちは、 自分以外の者・自分以外の物 っと意識され、 言葉であらわされ名となった、細分化された、 数多な意識の大海に押し流され、押し流され、流され沈むまいと、 そこで懸命に わたし という自我を確立しようとするのかもしれません。 意識が細分化し、自我を確立させるという行為は、 大海原の浮舟のように、実に実に孤独なものなのですが、 荒波に揉まれつつ、己の目指す世界にたどり着こうと 一生懸命櫂を漕いでいる わたし には、 ”ふるさと”という存在は、全くの邪魔物であるのかもしれません。 そうしてわすれようとする、 あるいは、 すっかりと忘れ去られてしまうようなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年06月21日 14時17分26秒
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