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カテゴリ:私見
”存在を感じていればいる程に その存在との間に 言葉は 意味も必要性をも 失っていく” たったこれだけの言葉の説明になんだってわたしは、 これほどまでに言葉を連ね”存在”を伝えようとしているのだろうか? っと滑稽に思う。 なんでこんなに躍起になっているのか?っと。 わたし自身でさえ、こんなにヅラヅラと言葉を並べて 一体何を伝えたいのだろうか? っと自分の中で認識できていない。 言葉にできない、説明できないということもあるけれど、 自分の裡で未だいろんな現象がバラバラでその現象の共通項が見えてきていない。 真珠の首飾りのいくつかの真珠玉は見えてつながっているようだけど、 全容がみえないのと、真珠玉をつなげているものの正体がみえてきてない感じ。 この文章の続きがどうなるか?結論は? 実はまだわたしにも見えていないし、 この先みえてくるんだかどうかも定かでない。 ”存在”という概念はとても不思議な概念だとわたしは思う。 そもそも ”宇宙の存在・万物の存在”そのものが面白い。 宇宙に比べれば、人間はなんてちっぽけなのだろう、 自分はごくごくごくごくちいさな、 あってもなくてもいいような、 不必要な、存在の意味など無い、 存在なのだろう・・・・ っと仰るかたはたくさんいらっしゃるけれど、わたしはそうは思わない。 宇宙にくらべれば自分はちっぽけなんだけど、、、 宇宙を意識するものがなければ宇宙というものは、 微塵も存在していないということにほかならないから。 結局宇宙からみりゃ、 ミジンコよりももっと小さい われ を通して意識すること、 意識する、宇宙を映す鏡という土台(われ)なくしては、 いくらとてつもない宇宙を目の前に はい、どうぞ っと神から差し出されたって 宇宙の存在は認識されないのだから。 宇宙という存在を認識する意識のない幼児には いくら宇宙が存在していたって、宇宙は微塵も存在していないように・・・ そして、脳死している人にいくら林檎を手渡したって、 林檎も、林檎を手渡ししようとしている人の存在も認識されることはない、 脳死している人にそれらは ”存在しない存在” なのだから・・・ (つづく) にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年07月02日 16時17分03秒
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