|
全て
| 家族
| お料理
| 建物
| 天候
| 行事
| 旅行記
| イランの生活用品
| イランでの生活
| 趣味
| お店
| 病気
| 追憶
| 言葉
| 私見
| 事件、事故
| 幼稚園・就学
| 社会問題
| 夢
| 翻訳
| 楽天プロフィール
| おとぎ話 ”春”
| 短歌・俳句如きもの
| English
| ひとりごつ
| 2014来日記
| 奇譚
| 詩
| Picturesque views from my eyes
| 波風の逢瀬
| Short stories
| ジョーク
| 素描
| レビュー
| こたふこだま
| 2017年来日記
| 私のお気に入り
| 2019~2020ふゆやすみ
| バイト
| 新型コロナウィルス
| フランス語
| 螺旋 こたふこだま
| Instagram
テーマ:短歌(1697)
カテゴリ:短歌・俳句如きもの
救ひなくやり切れぬのは 己(おの)が性(さが) 愛おしきほどに人が哀しさ ************* 救いようもないのを知っているからこそ、 わたしがやり切れなく想うものとは、 日常生活や現状や、 ある出来事ある事柄に対してではなく、 人が皆、 己として在るがために内在させている、 性(さが) というものなのです。 それは哀れなほどに、 悲しいものにわたしには映り、 時にそれは、 あまりの哀しさゆえに、 ひどく愛おしく感じられる程なのです.......... ******** セタールの哀調を帯びた曲は、 私の胸に震えるように迫ってきます。 セタールの曲に限らず、 名曲というものには こころ があることを 最近わたしは知りました。 イランの民謡をピアノ、セタールで弾いていると、 (ピアノ曲とセタール曲は異なる曲ですが.....) 作曲者のどうしょうもないかなしみ、 わたしが感じてるものと同種のかなしみが、 旋律の中から浮かび上がって来て、 弾きながら涙が溢れて溢れて、 わたしはとどめようがなかったのです。 文学でも音楽でも絵画でも、 きっと同じことがいえるのでしょう..... 救いようもないものが救われるとしたら、 やり切れない想いに晴れ間がのぞく時があるとしたら、 時空を超えたメッセージに、 同じようにもがきながら 生 を全うした先人の想いに、 触れた時でしょうか..... っとわたしは想うのです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年09月07日 06時54分15秒
[短歌・俳句如きもの] カテゴリの最新記事
|
|