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カテゴリ:レビュー
「君と僕の不連続な世界」大野弘紀氏著へのレビュー
「境界線という接点」 【不連続な世界】 という言葉に惹かれた。自閉症の閉ざされた扉は自他の境界線に存在するのだろう。自閉症であってもなくても自己を仕切る扉はあるのだろうけれども。 扉は仕切り、国境線のように何かに、誰かに設けられているものなのかもしれない。そこまで思考が行き着きふと、境界線って自他だけにあるものではなく、自分自身のうちにも案外存在していて、自己が一貫しているというのもそう思っているか、いないかによるのでは....っと思った。私がそんな人生を歩んで来ただけかもしれないが、自己をふりかえって見ると、どうも現在と過去がうまく結びついていない。一度絶たれて修復されたような形跡すらみる。 人は原因と結果で、過去と現在と未来が連続していると思っているけれどこれも連続と不連続の違いはあるが、境界線のようなものでそう思う方が混沌とした時空を把握しやすいからかもしれない。(私の場合は過去と現在が連続していないと思っていた方がやり過ごし安かったからだろう。)そんなことで自他も不連続であるようで、実は不連続ではないのかもしれない。 自分と世界と他人。この三つのどれものうちに、一つも欠けることなく、何時でもどれをも観る意識の先に、大地と空と海の接点があるような気が私はしている。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年04月25日 07時18分43秒
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