|
全て
| 家族
| お料理
| 建物
| 天候
| 行事
| 旅行記
| イランの生活用品
| イランでの生活
| 趣味
| お店
| 病気
| 追憶
| 言葉
| 私見
| 事件、事故
| 幼稚園・就学
| 社会問題
| 夢
| 翻訳
| 楽天プロフィール
| おとぎ話 ”春”
| 短歌・俳句如きもの
| English
| ひとりごつ
| 2014来日記
| 奇譚
| 詩
| Picturesque views from my eyes
| 波風の逢瀬
| Short stories
| ジョーク
| 素描
| レビュー
| こたふこだま
| 2017年来日記
| 私のお気に入り
| 2019~2020ふゆやすみ
| バイト
| 新型コロナウィルス
| フランス語
| 螺旋 こたふこだま
| Instagram
カテゴリ:短歌・俳句如きもの
太陽が春分点を通過した瞬間に毎年新年を迎えるイラン。今年は3月21日の19時45分28秒とのこと。大晦日も時間はたっぷり夜まであるので、ギリギリまで私は慌ただしくバタバタしているのだろうな、、、と想う。大掃除はまだ完全ではなく、生活していると埃や汚れが日々溜まっていくので仕方がない。 先週の水曜日と木曜日に今年最後の英語教室と音楽教室を終えてきた。今年一年で何が学べたのか学べなかったのか、省みることもないままにとにかく続けることと思って過ごしてきたし、来年もそうあるのであろう。空手に突如通わなくなったように、時がくると続けてきたことが続けられなくなり、また新しいことを始めることになるのがこれまでの私の人生で、それは私が選択しているようでもあるけれど、不可抗力的要素も多々あるように思っている。だからこそ続けられるうちは一生懸命でありたいと思う。そして空手はもう練習しなくなったけれど、空手での経験や積み重ねは全く消滅してしまったわけではなくて、別の形で私の裡に息づいているとも思っている。 英語と音楽がこの先どのような形であり続けるのか、変化するのかまったく私にはわからないけれど、おそらく私という人間を構成しているパーツの一つとして形作られ埋め込まれるための変化の過程といったところか・・・そしてあるものが消え、あるものが残り、あるものが形を変えて、私という人形(ひとがた)になっているのだろうとこれを書きながら思うのだった。 【逢ひ別れしものゝ一部は消え残り変化を遂げて吾人形(ひとがた)をなす】 息子の理科課題のジャガイモ 春恒例豆の発芽 ↑ 春の花 ↓ 迎春のためのお飾り用に店頭で売られている金魚 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年03月21日 00時57分33秒
[短歌・俳句如きもの] カテゴリの最新記事
|
|