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Maryam's HP 日記

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Hiro Maryam

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2020年09月03日
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カテゴリ:螺旋 こたふこだま
クランチマガジンに Homa というペンネームで投稿していた文章です。



螺旋(二)〜意識のプリズム〜


概念から意識へと促す第一集に続く第二集は、意識の多元化、多角化。意識は万華鏡となり、ひとつとして同じではない文様を造り生み続ける。その文様は空に描かれる曇のようでもあり、また大海の大浪小波のようでもある。





誰にも何にも

今日は五人で遠出しようと途中まで行ったのに、引き返すことになった
予定は未定であり、自分にも誰にも何にも決められるようでありながら、決められないもの



満足とは

精神的に満たされることと 物質的に満たされることは 正反対のようだけれど 実はイコールなのだろう
私が満足を感じる場合を考えると 精神的満足も 物質的満足も どちらも 私を満たしている質量の内容は何時でも 全く問題ではなかった

私が満足を感じた対象とは 誰とも何とも比較は不可能である という認識のうちに存在していたから


心得

日常とは、 季節・天候・状況・環境など移り変わる、現象という海を、 感情という大波小波の中で手足動かし泳ぎ浮くのに似ている

潮流が生じている刻は逆らわず、流れを利用することを考える

無理や無駄な動きは極力減らし、まずは浮かび保つことを心得る




混沌とした完璧さ

この世の仕組みはあまりにも精巧で 万象は全て巨大な細密画のワンピースであり ぴったりときつくはめ込まれて出来ているが、
その完璧さは混沌とした抽象のヴェールを深く広く纏っている



ある疑問


能力に、存在に、限界があるからこそ選択が可能であるとしたら、 神には選択する必要性は皆無ではないだろうか?



第三の瞳

時の川の潮流は、私の知らぬところで定められゆく

私でなく、わたしという意識の瞳は、 意志とは無関係のところに既存している道を透かし彫りにして示すことができる



可能性

言葉に、語句に、文章になった時点で それは虚構となる。 現実よりも、事実よりも、 真実となりうる虚構に……



可視化

感情の波の動きを眺めて過ごすよう努める
すると、感情以外のものでも私は、物事、現象、事象を認識している

身体や五感の快不快は、むしろ感情と密接に関わっていることを強く感じる

また、心と身体の反応の間にある、なんとも言葉では表現出来ない隙間に、”道”のようなものさえ見えてくる

そしておそらくその道は運命などと呼ばれるものと関わりがあり、
潜在している意識と未知を、可視させる可能性を含んでいるものと私には思われてならない


はんせい

生きることは、並大抵なことではないから、 出来るだけ平坦な道を選べたらいいなとは思う
しかし辿ってきた道を振り返ると、 どういうわけか入り組んだ見通しの悪い、 行き先が全く不明な道ばかり選んできたように思う
もう少し気楽に人生を歩めた道は、 少なくとも二つや三つは存在していたにも関わらず……


天秤

数年前まで私は、人間関係に悩んだり ある人とうまくいかないことがあったら、 与えることと、与えられることのバランスによって、 もっとも適切なその人との距離を弾き出していた

ギブアンドテイクは、 情に流されたり思い込みや思い入れで、 その人物と保つ関係の距離を測り誤らないための、 私のメジャーであり、天秤だったのかもしれない

でも今は、ギブアンドテイクの天秤は使わず、 私自身を天秤と為すよう努めている

それは言うならば、 私自身がある一点から吊り下げられて宙ぶらりんとなり、 左右の片寄りを少しずつ修整していく中でみえてくる、 ニュートラルの感覚を霊に覚えさせる作業なのかもしれない



御業

一寸違わぬタイミングで、最適な人材を選び抜き、全く予想外の題材をもって役を与え、全く知らない誰かの心象に大きな波風を立てるものなのだな…と、

ただただ驚きの面持ちで私は、神の御手による業を眺めている

驚くべきことに神の御業は、我々にとって全く個人的なものでしかないと思われる心象と思考を君が、彼(女)が、私が有するが故に為されている

神は、極々個人的なものでしかない心象と思考を用い、風が吹き抜けると同時に事を為し、事を終えている



劣等感の行方


自信のありすぎるのは如何なものか……とは思うけれど、自信満々の人もそんなにはいない

それゆえに人は、劣等感に裏付けられた自尊心の姿見で己が身を映して眺めてるのだろう

しかしそんな現身の空蝉をじっと見つめてみたところで、案外人は自分自身の良さを見落としがちで、自分自身を公平に見定めることは難しい



一方通行

過去とは実に個人的なもので、 事実より主観という小説的要素が濃厚なもの と思っている

過去が現在に影響を及ぼしているというのは承知の事実だが、 過去の方も同じぐらい色濃く、現在に影響されている(現在進行形表現であることに注意)ということに、 概して人は気が付いていない



想いの次元

世界だけでなく、私だけでなく、たったひとつの想いにも、幾重の次元があることに私は気づいた

想いの次元のレイヤーは、その想いを抱いてる人の思考、言動、仕草、表情にも異なる世界を思わせる

しかしそれらは多重人格とは明らかに異なる

人格は状況に対応しようとする ”私” が分裂をおこし、その過程で人格の一部分が強化、特殊化されたもののように私は感じているが、
一方想いの次元とは、時と場には左右されず、 状況が如何様に変化し、うつろって行こうとも、時空の流れを超えた処の ”わたし” という光のプリズムであるから



無秩序の秩序

どうやら 私が感じているよりもずーーーっと 時 というものは 魔性のような目に見えない力 を持っているようだ

時は単に流れではなく 見えない方向性を持ち、その流れの力は 万物を 混沌 という 《絶対的秩序》をもって 序列させているようだ

その序列の数は数えきれず それに伴って 星の数ほどの方向性を生む



バケツ

夢は単なる夢に過ぎぬが、夢の一部分は確かに現実を映している

ただその鏡は、多種多様のフィルターやエフェクター、性質や素材も被写体をそのまま映すようには出来ていない

絵画や映画を嗜好、趣向、社会的作品というならば、夢は心、感情、私的作品であろうか....

また夢は現だけではなく遠い過去と、遠い未来をもその心象が生み続けてきたフィルター、エフェクターで映している……

いやなに、それだからって夢をマヤカシと一掃することはないんだよ…そもそも過去にも未来にも実像、真相など存在しないのだから

われわれが転生し続けてきた連鎖の井戸は深淵極まりなく、当然ながら底が見えぬ

だが、夢 というイメージを受け容れる小さなバケツ、普段は脳のほんの片隅に身を潜めている時空、存在せぬ ”格納スペース” ともいえるバケツが、ひとたびこの井戸に投げ入れられれば……果てしもなく高い空 にさえ繋がっている



雲の流れゆく先に

矛盾も混沌も 意思も意志も喜怒哀楽さえ 月や、陽を一時的に覆う雲に過ぎず 月と陽の運行を妨げるものではない

たとえ雲は風呼び、嵐を呼ぶとも… たとえ月日の運行は この地から観る月の姿変え この地に春夏秋冬もたらそうとも…

雲の流れさえも 偶然などではない



時空というマヤカシ

時も 空間も あってないもの
時空の存在を無視できない ということそのものが メクラマシの魔術みたいなもので

人がみなその術に すっかり陥ってしまうのは

この身体があるからにほかならない



繰り返す誕生

私の意思をも用いて、ある意識が流れているのだろうか? それを確かめ見極めようと、私はできるだけ意思を持たずに日々過ごす

時の流れはただ、ただ流れているのではなく、月と陽の引力、天候、風向きという理(ことわり)という偶然をも用いて潮流操り、私という 木片 を決められたある一点へと流し続けているのではないかと?

その木片を見つけるではなく見つけ、何の気なしに手にとり己のものとする存在まで図って……




継続の意味すること

一方的な関係というものは続かない

人間関係に限らず、継続の意味する事とは、良きにせよ悪きにせよ、そこにある均衡が存在しているということ

そして、生きていること、この世にある という ”今 という 継続” にもおそらく同じことが言えるのだろうと私は想っている

今、此処に在ることには、天地と吾との三点にある均衡が存在するのではないか…と





真理、真実、信念、信仰の 差し出し方、突きつけ方、 その用い方、理由、目的のうちに 人間性を如実にみる



“今”という“門”

生は死、有は無、光は影、過去は未来 これらは相対の様相でありながら、片方が存在しなければ、もう一方も存在しないことを前提としている

即ち相対でありながら形を変えた同一の存在であるとも言える

相対の世界は形を変えながら連なっていく まるで昼と夜のように

相対の世界にとどまる限り 時に人は昼に喜び 昼に悲しむ
時に人は夜に憩い 夜に恐怖する

相対の世界にありながら 絶対
あるいは 絶対ではない世界と重なっている唯一の点がある

それは 今 という瞬間

秘密は今にある

今この時にも 相対の世界に並行する或る世界が扉を開けている



裏切りの裏

誰かには叶えど 誰かを裏切る 誰かの中には自分が含まれてたり 含まれてなかったり

無意識であっても 身を切られる思いを抱えてても 天命、容赦なし

今、此処に 人が、この身が在ればこそ




良くも悪くも裏切り続け


裏切りの裏に存在の証をみる

君は君を裏切り続け此処に在る 私は私を裏切り続け此処に在る

良くも悪くも裏切り続けるうちに此処に在る 世界も人も裏切り続ける

在るがままに裏切り続ける

そして良くも悪くも裏切りがやんだ時

その存在は私のうちで永遠となる



運命 さだめ

運命にしても、偶然、必然、縁にしてもあると思うからあるのだろう

宇宙は確かにあるのだろう
そしてまた無くても構わない

何れにせよ意識する〝私〟がなければ 世界は、万物は、 あっても無いに等しいものとなる

たとえば、赤ちゃんには偶然、必然、運命、縁はない

その事実は、 私達は皆、それらを持っていなかったことを意味する

意識を持つ、意識が分化することで世界を有し、また世界を、私を枠付けることになる

但し 忘れてはならないこととは

それと同時に又 私達は皆 各々が枠付け創り上げた 意識に、私に、世界に “枠付けをされる運命にある” ということ



芸術家の模倣と矛盾

模倣されるほうも、模倣する方も、オリジナリティー(独自性)を有していないと芸術は成り立たたない一つ目の矛盾

そうであってその芸事のオリジナリティーは、強固な純朴さ従順さという基盤がないと、金剛石にまで磨かれないという二つ目の矛盾





時の魔法

嘘はいつか真実に

真実はいつか嘘に

時の魔法と心の謎

言葉は石に刻まれ遺る

想いを描いた心は風となって去来する

いつかその言葉は遺跡となるのか、ならぬのか?

いずれにせよ風化する

心も

痕跡(あと)も

常時記載された透けたスケジュール


私の存在の有無は、単なる予定のひとつに過ぎない




結果より経過


結果より経過が大事
結果と言っているものは結果ではないから
合格にも、就職にも結婚にも
その先、その続きがあるから
今日が終ろうと明日があるから

いうならば、明日へ至るまでが結果で

明日そのものが結果で

結末は死という終焉なのかもしれない

死さえも経過だったなら?!





螺旋第二集~完~





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Last updated  2020年09月03日 15時09分59秒
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