本日、2件目の記事です。
来週の日曜日、
3月18日・・・息子が7歳の誕生日を迎えます。そんなわけで 一週間前に紹介させていただこうと心に決めていました。
作者の方へ 許可を頂く為にメールをさせていただき、そのお返事でいくつかの条件を出されました。
「訂正等、指摘される部分があればお返事ください」と 待っていたのですが、来なかったということは、そのお返事を頂いた時点で、条件付きで許可いただいたと思い、ブログにUPさせていただくことにしました。
そんなわけで 今日は、以前予告させていただいた本・・・詩のご紹介をさせていただきます。
この詩に書かれていること、どの文章も本当は消せないくらい重要で、自分にとってはどの部分も大切なのですが、
許可を頂く上での都合上、一部略させていただきました。
文章の最後に、原作者の方の所へリンクさせていただきましたので、興味のある方は 是非 ご購入くださいね。
私も、後日 気になる作品購入を予定しています。
(ちなみに、私の気になる作品は「育ててくれて、ありがとう」と「子どものこころを感じてみようよ」です。)
この作品に出会ってから、改めて子育てしていく上で とても大切な事を学びました。
この詩と出会えた事に 心から感謝いたします。
子育てに躓いてしまったら、再びこの本を読み返したいと思います。
皆さんの心にも なにか響いてくれたらとっても嬉しいです。
子供から 決してこんな気の利いた言葉は出てこないけど、この作品が
子供からのメッセージを代弁してくれているようです。
初めて この詩に触れたとき、涙が止まりませんでした。
本の表紙の帯には こんな言葉がつづられています。それをふまえた上で 読んでくださいね。
「あなたには、あなたを必要としている人がいます。
・・・人は誰でも、ハンディキャップをどこかに抱えながら生きています。
人が気づき、学べることがあるのは、そのおかげです。
生まれた意味を親子で考える絵本。」
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「生んでくれて、ありがとう」
だいすきなママへ・・・・・・。
ボクはこのことをどう、つたえたらいいのか、
ずっとかんがえてきた。
これからボクは、ママのこころに
とてもたいせつなことをかたりかけるよ。
ボクをうんでくれたママに、
ボクのこと、もっとしってほしいから・・・・・・。
(中略)
ボクのカラダは、
けっしてまちがいや、ぐうぜんで
こうなったんじゃないんだ
もちろん、なにかのつぐないなんかでもない。
ボクがほかのことちがうのには
ふかいわけがあるんだ。
なんだかボク、おかしなことをいってるみたいに
おもうかもしれないけど、
このカラダそのものが、ボクのすべてではなく、
そのおくにいて、カラダをいかし、うごかしているのが、
ほんとうのボクなんだ!
(中略)
すべてをわかったうえで、
ボクはママをママにえらんだ。
なぜって、こんどのじんせいで
ボクがチャレンジしようとしていることに
もっともふさわしいカラダのボクをうけいれる
おおきな、おおきなあいが、ママにはあったからだよ。
ママもこころのどこかで、そうかんじていなかった?
そう、これはボクにとって、
たいせつなチャレンジなんだ!
このせかいでハンディキャップをもって
いきることが、どんなものであるかを
けいけんするための・・・・・・。
このカラダで、ボクはじぶんが
どこまでがんばれるのかを
ためすつもりさ。
うまくいえないけれど、
このカラダはボクじしんが
のぞんだものなんだよ。だからママは、
もうじぶんをせめたりしないでね。
むしろボクは、ありがとうって、いいたい!
こんなふうにうんでくれたママに、
こころから、ありがとうって・・・・・・。
ボクにとってたいせつなのは、
じんせいのそのときそのときを
いかにいきるかなんだ。
ふつうのじんせいをおくり、
あたりまえのせいかつをするには、
ひといちばいのどりょくがひつようだけど・・・・・・。
でも、これはボクにとって、
とてもやりがいのあることなんだ。
たしかにボクはいろんなこと、
ほかのこたちとおなじようには
できないかもしれない。
でも、よおくみて!ボクはまいにち、すこしずつ、すこしずつ
せいちょうしているよ! ママはわかるでしょ。
あたりまえのことでも、ボクがこのカラダで
はじめてやれたときのよろこびは、
なにものにもかえがたいものだよね!
ボクがせいいっぱい、いきることで、
みんなにつたえられることがいっぱい
あるとおもうんだ。
いきること、あいすること、
いのちのすばらしさ、ふしぎさ・・・・・・。
それを、ママやパパや、きょうだいたち、
まわりのひとたちにかんじてもらえたら、
ボクはとてもうれしい!
それから、みんなのたすけがひつような
ボクのようなにんげんが、このせかいには
たくさんいるんだということを
おおくのひとにしってもらうことも、
こんどのボクのじんせいの
たいせつなもくてきのひとつなんだ。
でも、じつをいうと、だれもがなにかの
ハンディキャップをかかえていきている。
あかんぼうも、わかものも、おとなも、おとしよりも、
せいかくだって、かおつきだって、たちばだってさまざま。
かんぜんなひとなんていないんだよ。
そうなんだ、ひとはみんな、
なにかしらのハンディキャップがあるからこそ、
おたがいにきづき、まなべることが
たくさんあるんだ!
ママ、ボクをみて!
これがボク、ありのままのボク。
だけど、ママ、これからさきのことをかんがえて
おそれないで!あきらめないで!
なにがあってもだいじょうぶ。
このよにおこることには、すべていみがあり、
むいみなことなんか、なにもないんだ。
おおきな、おおきな、みえないちからをしんじて、
あんしんして、このことをうけいれればいいんだよ。
つらいときには、そこからすこし、はなれてごらん。
そうすると、みえなかったものがみえてくるよ。
くるしみのなかにも、よろこびややすらぎがあり、
うつくしさだって、すくいだってあるよ。
しんぱいしないで。
すべては、なるようになっていくからね。
もちろん、ボクだって、これからさき、
うなったり、ないたり、おこったり、
はがゆいおもいをしたりもするかもしれない。
でも、そんなボクを、こころのふかいところで
じっと、みまもっているもうひとりのボクがいる。
ママもそうだよ。なやんだり、
かなしいおもいをしたりしているママを
ふかいところではげましたり、なぐさめたり、
やさしくみまもっているそんざいがいる。
だからママは、けっしてひとりぼっちなんかじゃない。
じぶんひとりで、くるしみをぜんぶ
ひきうけなくてもいいんだよ。
ボクはママをしんじている。
はじめはたいへんだし、つらいだろうけど、
そのうち、ママはボクのためにもつよく、
たくましくなっていき、
もう、どんなことにも、なきごとをいわなくなる。
むしろ、ボクのようなこどもをもったことで、
ほんとうのあいや、いのちのすばらしさをしり、
おもいやりぶかいひとになるだろうって。
ボクにとっても、ママにとっても、
まわりのみんなにとっても、
このいっけん、ふこうにみえることも
じつは、そうぞうもつかないほどの、すばらしく、
かんどうてきなドラマだって、いずれは
おもうはずなんだ!
ボクのねがいは、
ママがだれにもひけめをかんじることなく、
むしろほこりをもって、いきてほしいってこと。
きそいあったり、くらべたりするせかいとはちがう、
おだやかで、おもいやりにみちた、やさしいせかい。
それが、ボクのいきているせかいなんだ。
ママも、みんなも、すこしずつ、
そのことがわかってくるはずさ!
たいせつなのは、ボクもママも
いま、いきているってこと。
すぎたことをくよくよかんがえたり
さきのしんぱいなんか、しなくてもいいんだよ。
ボクといっしょに、このいちにち、いちにち、
いっしゅん、いっしゅんを
ひたむきにいきようよ!
ママ、ほんとに、ボクをうんでくれて、ありがとう!
パパ、ボクをうけいれてくれて、ありがとう!
みんなで、とくべつの、とびきりのじんせいを
あゆんでいこうね!
書籍名:『生んでくれて、ありがとう』
著者名:葉 祥明
出版社:サンマーク社(2001年)
*こちらでご購入いただけます。
http://yohshomei-netshop.com/?mode=cate&cbid=56873&csid=10