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カテゴリ:できごと
ある程度、頭の中で整理がついてから 書き出そうと思っていたけど、
なかなかまとまらないので 続けて更新。 たぶん先ほどからの一連のことを書かない限り、次の一歩は踏み出せない気がする。 辛くないと言ったらウソになるけど、ナゼだか綴らずには居られない気持ちがある。 ただ、書くにあたりタイトルが思いつかないので 適当です。 身近な人の死が、こんなにも重くて 今までの自分を失わせるなんて思いもよらなかった。 嫌いだったハズなのに、時間が経てば経つほど 現実を突きつけられて、 心が空っぽになっていく。 心の中に空いた穴は、日を追うごとに大きくなっていく。 なんとも言えない、空虚感。 4月上旬に迎えた自分の誕生日・・・。 いつもなら もうこの年になると どうでもよく思うのに、今回だけは違った。 母には、自分が母親になって大変さを知って感謝できるようになったのだが、 やっと父親にも感謝できるようになった。 母と、そして父が居なければ 「私」は存在しない。 もう遅すぎるけど、 「生んでくれて 育ててくれてありがとう。」 そしてもう一つ感じた事は、 私は「生きている」のではなくて「生かされている」 父親の死が それを教えてくれた。 あの日の出来事、 仕事中に 携帯に電話が入った。 いつもズボンのポケットに入れている携帯に珍しくかかってきた。 もちろん仕事中だから、マナーモードです。 ポケットを覗き込む。 1度目は公衆電話から。・・・きっと間違い電話だろうと取らずにいた。 しばらくして2度目の電話があった。今度は実家からだった。 仕事とわかっているのに、何だったんだろうと思いながらも、出ることができなかった。 仕事終了後、直ちに折り返して電話をしてみた。 母から信じられない事を言われた。 「朝 お父さんが倒れて 病院に運ばれたの。もって3日だって先生に言われたから、 もう最後かもしれないから チビちゃん達を連れて会いに行ってあげて」 救急車で運ばれて、処置してもらってから 様態が安定したらしいので、一緒に行った母は家に戻ってきたらしかった。 もって3日って? 最後って何? 父のそんな状況が信じられなくて、気持ちが落ち着かない。 帰宅後すぐに、義両親に報告して なんとか気持ちを落ち着かせようと必死だった。 昼食を取る気分にもなれない。 お兄ちゃんはその日 いつもより早く下校することになっていたので、ついでに下の子も早退させようと思っていた。 自分が電話をかけた1時間後・・・再度電話が鳴る。 「様態が急変したって! すぐに来て!!」 そんな事を言われていたのに、どうしても父に子供達を会わせたくて、学校と保育園に連絡して迎えに行って病院に駆けつけた。 すぐにと言われていたのに。そんな時に何をやっていたんだ、自分は。 すっかり冷静さを失う。ただ間に合ってほしくて ひたすら車を飛ばした。 病院までの道中、ただ ただ間に合ってほしくて それなのにぶち当たる信号は すべて赤で止められた。 「お願いだから 間に合ってよ。」 こんな時 血のつながりのある人なのだから 何かテレパシーとか 特別なチカラがあって気持ちが届いてくれればいいのにと思う。 そんなことできるはず無いのに。 いつも通っている行きなれた病院の、いつもと違う場所。 病室のある手前の待合室に母と姉と妹が座っていた。 連絡を受けた直後、すぐに駆けつけたのに、誰1人として間に合わなかった。 母達が駆けつけると、医師から 「確認させていただきます。・・・・・」と言われたらしい。 最初は そのあまりにも曖昧な先生の言葉にピンとこなかったらしいが せっかく駆けつけたのに、間に合わせられなかった為に 亡くなった事をハッキリと言えなかったのが現実らしい。 私は病院で父と会う事ができなかった。 そこに居る家族みんなが肩を落とす。 間に合わなかった自分を悔やむばかりだった。 あの時、子供なんて迎えに行かなくてもよかったのに、 現実を受け入れるのが怖かったから わざわざ時間を置くような事をしてしまったのかもしれない。 お父さん 間に合わなくてごめんね。 電話で父の弟の叔父に連絡をとるも なかなか繋がらない。 やっと繋がって 父を葬儀屋さんと一緒にお迎えに来てもらうことにした。 実家へ戻り、父を迎えるための準備をした。 子供達を家に送り、義両親に預けてきた。 こんな時、預かってくれる人が居るのは 本当にありがたい。 もし私1人なら、子供達を連れて行かなければならなかった。 8歳と5歳の子には、亡くなった人を目の前にするのは とても重たすぎるような気がした。 自分達の子供の頃、9歳で母方のおじいちゃんと父方のおばあちゃんの亡骸を見た。 こんなこと思うのはいけないことかもしれないけど、 亡くなった人を目の前にする「怖さ」があった。 その頃の自分の年齢と お兄ちゃんは1歳しか違わないけど、やっぱり子供には酷な気がする。 いい大人になった自分でも、自分の親なのに、その頃の「トラウマ」が蘇って 怖いと思ってしまた、ダメな自分だ。 家に戻ってすぐ 母は気丈に準備を始めた。 姉はただ 泣くばかりで何もできなかった。 私と妹は 母の言う通りに手伝った。 頭の中が真っ白で ただ母の言う通りにしか動けない。 それでも変に冷静で動けたのは、薄情にも 自分が父親嫌いだったからだと思った。 これが母なら 間違いなく魂の抜け殻になってしまう。 今の姉と同じように きっと何もできなくなるに違いない。 それだけ 私たちにとって母の存在は大きい。 気丈すぎる母が心配だった。 父が帰ってきた。 今まで見たこともないほど とても安らかな顔をして眠っていた。 その後 夕方から慌しくなる。お寺様(住職)と葬儀屋さんと、親戚の人達と、近所の人達の出入りが激しくなる。 葬儀等の打ち合わせが始まった。 あの時期は、同じ地区で立て続けに3軒も葬儀が入っていたために、2日3日待って欲しいとのことだった。 何をどうしたらいいのかわからないまま 時間が過ぎる。打ち合わせに参加するも、話を聴く事しかできない。 お寺様がお経を唱えに来てくれて、いろいろ話してくれた。 父と住職は3つほど年が離れていて、子供の頃いつも遊んでいる仲だったらしい。 住職にも父と同じ年の弟さんが居らして1ヶ月前に亡くなられて間がなかったそうだ。 そんな時に、弟と同様に想っていた父にも先だたれてしまって、寂しがっていた。 それから、父は毎日散歩を欠かさなくて、しょっちゅう いろんな所で見かけたとも言われた。 「○○くん(父の名前)、毎日、たくさん歩いてたね。」父の組まれている手をがっちり握り締めて、お数珠をかけながら 涙ながらに父に話しかけてくれた。 近所の人も同じく 毎日至る所で散歩する父を見かけていたらしい。 「あれだけ毎日散歩してたら、長生きするよね。 昨日会ったばっかりなのに、信じられない。・・・」 皆さん口々におっしゃられていた。 お寺様の 子供の頃からの、そして その後のたくさんの父との思い出話の末に、 「尊い人を亡くされました。」とおっしゃられた。 お寺様に泣かれて、おまけに そこまでおっしゃっていただけるなんて。 父はなんて幸せな人だったのだろう。 それなのに、眠っている父を目の前にしているはずなのに 事実が受け入れられない。 父のために泣けない自分。 お父さん、薄情な娘で ごめんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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