ひそやかな内面への旅・・・「リトルターン」
「リトルターン」というちょっと不思議な小さな本を読んだ。この本は、誰にでも受け入れられる本ではないかもしれない。ちょっと哲学的な本だと思う。しかし、いわゆる成功哲学の本などを好んで読む方には、じれったい本かもしれない。かと言ってありのままのあなたでいいんだよ~的な癒し系の本とも違う。ある日突然飛べなくなってしまったアジサシ(リトルターン)がまた飛べるようになるまでの内面の旅の物語だ。「かもめのジョナサン」との比較がされるが、訳者も言っているように、まったく違う話だ。「かもめのジョナサン」は飛ぶ意味、生きる意味についてさぐっていく話だと思うが、「リトルターン」は何を見るか、何を感じるか、どう考えるかをひそやかなテンションでいっときいっとき突き詰めていく姿が描かれている。モノクロの写真が掲載されている「かもめのジョナサン」は仲間からはみだしたかもめとは言え、かっこいい身軽なヒーローなのだ。ところが「リトルターン」は、まったくヒーローなどではない。おちこぼれでもない。自分の内面の問題に向き合う自己対話者?とでもいうべきだろうか。その本質は砂時計をイメージしてしまうほど淡々としている。この本は、ほとんど絵本と言っていいほどたくさんの美しい水彩画が添えられそれも彼の内面に起こったり見えたりしているものごとの心象風景であり、コラージュであるように感じられる。低く彼の目線になって世界の美しさを味わいつつも一緒に内面的な問題に対面しているような気持ちになる。何度も読み返すと、また違った感じ方をするかもしれないけれど・・・こういう本があってよかった。こういう本が必要な人が世の中にはいるのだ。あなたはどう感じるでしょうか?