遠い道のり
仕事のおつきあいで100km歩くイベントに参加してきました。ある朝出社してみると、私の参加が決まっていたという、消極的なスタートだったのですが、どうせやるなら、当初申し込んでいたサポートではなく100km歩くほうにチャレンジしてみたいと思い、歩く側に変更。高校のとき40km毎年半強制的に歩いていたので、その2.5倍かあ・・と想像つくようなつかないような。5km歩いたくらいで、歩く練習はほとんどしませんでしたが、ジムで脚や腹筋などの筋トレは普段からやってるから多少はいいかも?前かがみに歩くと腰に負担がかかるだろうから、腰にまっすぐ上半身の体重をのせて、なるべく腹筋で上半身を引き上げながら歩くことを普段から心がけました。さて、当日は、朝7時の出発で、5時起きのはずが、4時過ぎに目がさめてしまいました。愛知県のとある大きな公園がスタート地点で、伊良子岬の先っぽまで歩くのです。翌日の午後1時がタイムリミットです。予報でわかっていたのですが、当日は、あいにくの雨。レインコートを着るのに手間取ってしまい、スタートからすっかり出遅れて、最初は焦らず気楽に350人ほどの参加者の最後尾近くで歩いていました。スタート前に知り合った地元のご夫婦や、仕事関係の知り合いの方と、途中でお話しながら歩いたりもしましたが、基本的にはひとりで歩いていきました。15kmくらいまでは一切休まず同じペースで進み、コンビニではじめて休憩をとり、軽く食べました。地図も初めて広げてみると、3時間で約15km来たことがわかり、時速5kmのまあまあのペースだと自覚しました。「じゃああと3時間で最初のチェックポイントだ!」と余裕に思ったのですが、20km過ぎくらいから脚の痛みが始まり、それに、山道のアップダウンがずっと続き、がっくりペースが落ちました。ドラッグストアでサポーターを買って両足につけたり、塗るサロンパスをぬったりしましたが、一向に痛みは軽減しません。ただ、よいほうへ考えれば、脚の痛みに気をとられ、気を使うためなのか、とても心配していた腰の痛みはさほどなく、また、それまで気になっていた荷物の重みを全く感じなくなりました。金属入りの腰痛ベルトをリュックにしのばせていたのですが、腰より先に脚の痛みがひどくなったのは予想外でした。脚をひきずりながら、30kmのチェックポイントについたのは、15時過ぎでした。後から反省したのですが、ここでほっとしたせいか、休みすぎてしまいました。マッサージしてもらう順番を待ったり、サポートの方にいい湿布をいただいたので、離れたトイレまで行ってあちこちに貼りまくり、ずいぶんゆっくりしてしまいました。次の39km地点は時間制限が18時と、今のペースではかなりきついものだと、再び歩き始めてから気づきました。脚が上がりにくいのですが、わざと行進するように脚を上げて歩いたり、「私は歩けるんだ!」と言い聞かせながら、18時の制限時間までにつかないかもしれない不安と闘いつつ、なるべく休まず歩き続けました。途中で、私よりももっとつらそうで、ほとんど数センチずつしか進めない状況の方に、思わず「大丈夫ですか?」とお声をかけました。もうほとんどビリのほうだったので、まわりに誰もいません。「一緒にがんばって歩きましょう」と言ったほうがいいものかどうか、とても迷いました。暗くなってきて、気力も落ちていらっしゃるのがわかります。「気にせず先に行ってください」とその方は言われ、私も制限時間内にどうしても39kmに着きたかったのでその方を後にしましたが、後ろ髪ひかれる思いでした。あとは時間との闘いでした。39kmに時間までにつけないとジャンプアップになります。高校のとき40km歩いてたのだから、40kmは当然のこと、また50kmまでは絶対大丈夫だと、甘くみていたのです。体力は高校のときよりは落ちていても、精神力は今のほうがずっと強いはずだと、思っていました。それが40kmの手前39kmの制限時間に間に合わないなんて、他の人ではなく、高校のときの自分に負けるのが悔しくて悔しくて泣けてきました。歯軋りしながら歩きました。そのときはもう歩き方なんて気にしてる場合ではありませんでした。とにかく18時までに39km地点につくこと、かつての自分に負けたくないこと、それだけで頭がいっぱいでした。本当にいったいどんな歩き方をしたのか覚えてないくらい必死で歩いて、18時ぎりぎりに39kmのチェックポイントにたどり着きました。そこで簡単にひざ下のマッサージをしていただき、飲み物をいただきました。雨の中でも歩きつづけていれば体はあたたまっているけれど、サポートの方たちは、横殴りの雨のテントで待機してどんなに寒いだろうと思うのですが、みなさん笑顔で「寒くないですよ!」と答えるんですよね・・・そしてぐしょぐしょに濡れた脚をもんで下さいました。今度は10分ほどの休憩で、すぐ出発しました。「道がわかりにくいから」とおっしゃって、途中までサポートの方が同行して下さいました。聞いてみると、やはり私がビリだそうで、ということは先ほど抜かしてきた方は、リタイヤされたんだなとわかりました。サポートの方とも別れ、そこからさらに果てしない道のりが待ち構えてました。次は50km地点がチェックポイントで、21時が制限時間です。しばらくは、39kmに制限時間に間に合ったということが自分に心強さを与え、ビリでもゴールをめざすんだ!と勇気が湧いてきてました。が、42km過ぎくらいに突然ぴたっと歩けなくなりました。さっきまでも脚はじゅうぶん痛かったけれど、こんなふうに突然歩けなくなることがあるんだ!とびっくりしました。先ほどの歩けなくなっていた方の状態が理解され、心境を実感しました。足が、肩幅に開ききり、閉じて歩くことができません。脚を前に出すことが困難なので、身体を半回転するように振りながら半歩ずつ歩くしかありません。身体を振って歩くと全体重がかかり痛めている左足首が悲鳴をあげます。何しろビリですから、前にも後ろにも誰もいません。お店もぽつーんぽつーんとしか点在しておらず国道23号はただただまっすぐ闇に向かっています。風も強くなり、横殴りの雨、傘も飛ばされそうです。レインコートを着ていてもいつのまにか中にまで雨が染み渡ってしまってます。歩道がどっぷり水溜りになっていても、それをよけたり縁石にのぼったりする気力が出なく、水溜りの中を歩き、靴の中もぐちょぐちょになってしまいまいした。大型トラックがばっしゃーんと水をはねかけてもよけることもできません。吠えないと体が動かないときは吠えました。顔もぐしゃぐしゃで、かなりあやしい人になってました。まわりに誰もいないからよかったですが、道行くドライバーは、ヘンな人が歩いてる・・と思ったことでしょうね。昼間は何度か伴走車から「がんばってくださ~い」と応援の声がありましたが、まっくらな国道沿いでは、どれが伴走車かもわかりません。おそらく時速2~3kmくらいにペースも落ちていたのでしょう。地図では近いはずのコンビニがなかなか見えてきません。道を間違えたのかな?と不安にとらわれたり、「この地図はウソだ!」と懐疑にとらわれたり、見捨てられたような心細さに陥りました。もうとっくに制限時間の21時を過ぎてしまい、チェックポイントも撤収してしまったのかも・・と思ったので、よけい不安でした。そのつらく長い道程に、いつしか私はプライベートなことでの悩みを重ね合わせていました。今回の参加は、そのための修行でもあったのですが、「道を歩んで、道をつかむ」と前日講演会でI先生のおっしゃったように自問自答しつつ、泣きつつ、歩きました。自分に鞭を打ってたんだと思います。48km地点のコンビニにつくと、少し落ち着きました。心細さは残ってましたが、伴走車が来ないのは、サポートの方を見てしまったら、そのまま途中でリタイヤしてしまいそうな自分がいたので、そうしないためにこれでいいんだ!と思うようになりました。その先の2kmも長かったのですが、ようやく50kmチェックポイントのコンビニの灯りが見えてきました。誰か黒影がぼーっと見えます。サポートの方でした。22時半近くになっても、まだ撤収せず、待っていて下さったのです。心にあたたかいものがどっと流れました。とうとう腰に痛みがきており、その場で鍼を打っていただきました。こんなところで鍼を打っていただけるなんて、驚きました。そして、50kmまでたどり着いたことで今回はよしとする、と判断を下しました。私は、腰椎に亀裂が入っているため、腰に痛みがきて困難を感じたら、無茶はすまいと思っていたのです。リタイヤする旨を告げ、ゴールまで行くワゴンに乗りこみました。爽快感はありませんでした。他の4人のリタイヤされた方たちと一緒にワゴンで送られながら、窓の外を見ていると暗闇の道を、小さく白いレインコート姿の方がぽつんぽつんと歩いています。まだあきらめずがんばっている参加者です。雨に濡れて頼りなげで、小さい小さい、でも尊い姿だと感じ入りました。車内はちょっとした敗北ムードと、ほっとした感じと複雑な空気が流れてましたが、みんなそれぞれなりの限界に挑戦したんだと思います。先にゴールの宿泊施設に到着した人たちはみな一様にヘンな歩き方で、お互い苦笑しあいました。睡眠・食事のあと、昼頃、次々ゴールしてくる参加者を出迎えました。その感じをなんと言っていいか、わかりません。奇跡のようにたどり着くひとりひとりを見ながら「すごいなぁ、すごいなぁ」という言葉しか出てきません。私が苦しんだ50kmの倍の距離をあの雨の中、夜を徹してあのまま歩きつづけたんだ、と思うとその思いは想像もつきませんでした。目をまっかにしてゴールした方、憎まれ口を叩きながらも、ものすごい笑顔でゴールした方、道を間違えてより長い距離を歩いてゴールした方、60代の方、70代の方も、何人もゴールしてました。中学生、高校生もゴールしてました。途中一緒だった地元のご夫婦もそろってゴールしました。私のことを気にかけていたとおっしゃって下さり、なんとも言葉がありませんでした。ぼろぼろになってるはずなのに、ゴールする方に一様に感じられるのは、なんだかすっきり余分なものを捨て去っているような爽快感です。それは途中でレインコートなどをサポートの方が預かって身軽になってることもあるとは思いますが、表情自体がそう見えるのです。私も来年は、こちらで見ている側ではなく、ゴールするあちら側でありたいと強く思いました。会の代表の方と「100km歩きます!」と強く握手しました。100kmを歩いて、そしてサポートをする、そしてようやく今回のことの意味も、初めて全体的に見えてくる、そういう予感があります。終わっていない、まだ続いているんだと感じます。また来年、それを探りに行きたいと思います。