ブリヂストン美術館に感激!「青木繁<海の幸>100年」展
初めて行ってきました!ブリヂストン美術館。今、「青木繁100年」展やってます。本当なら今日は六本木ヒルズで「ダ・ヴィンチ展」を見るはずで残業ぶっちぎって定時で上がったけど一緒に見に行くはずだったコヨーテさんが急な仕事でキャンセル~!がーーん!く~っどうしようっ(T_T)でも定時に上がっちゃうなんて滅多にないし、よ~し、会社から近いブリヂストン美術館へ行っちゃえ~!!と、めげずに方向転換しました。この変わり身の早さ。我ながらちょっとほれぼれしました・・(^▽^;)ブリヂストン美術館は、東京駅八重洲口から徒歩3~4分という近さ、平日は夜8時まで開館しているし、きっとこぢんまりとほどよいサロン風の規模なんだろうし、7時前に着けば余裕で見れるかな~♪と思ってたら・・ブリヂストン美術館、あなどっちゃいけません!興奮しました。常設展だけでもかなり見ごたえあります。国立西洋美術館の常設展のような大作はないにしても、つぶの揃った、上質な作品をたくさん所蔵してました。(さすが大企業は違う・・)展示室も落ち着いてきれいで、平日夜のせいかとても空いていて、まるで部屋でゆったり絵を見ているような感覚。思うに・・部屋に飾りたい、生活の中でもいつも眺めていたいような心地いい作品、というコンセプトで集めたのかな~?それくらい、なんだかどの展示室も居心地よい空間でいい「気」が流れているように感じられました。いや~、いいないいな、もっとゆっくり見たい!でも今日は青木繁、青木繁を見に来たのよ~と自分を戒め、常設展はさらさらっと流し、青木繁の展示室に戻って閉館ぎりぎりまでへばりついてました。↓彼の代表作「海の幸」、重要文化財に指定されてます。ちらっとしか知らなかったけど、青木繁は28歳の若さ(!!)で結核で亡くなってます。青木繁のピークは21~25歳くらいで、今回の展覧会もその短い期間の作品が多く集められていました。晩年(と言っても27,28歳)は思うように評価されない絶望で九州を放浪し、そのうち喀血して、病院で亡くなった・・と。先日の佐伯祐三にしろ、この青木繁にしろ、夭折の天才画家っていうのは、ほんとにその生涯を知っていたかのように早熟ですよね~。もちろん「海の幸」や、彼独特の神話の世界に題材を取った「わだつみのいろこの宮」などもよかったけれど、一番興味深い作品は、21歳くらいのときの「自画像」でした。彼独特の朱と暗い緑を多用した自画像で、不遜ともいえるほどの自信と野心と、憤怒に近いほどの情熱が暗い画面にほとばしっていました。そして当時(明治時代)としては珍しく、輪郭を、朱の荒々しいラインがいくつも走り、きっちりしてない未完成っぽい仕上がり。まるで彼の体の表面には、赤い電流が帯電していて触れると感電してしまいそうに見えます。ものすごいエネルギッシュな人だったんだろうな・・近くにいたらこわそう。でも、彼の友人へあてた絵入りの手紙を見るとずいぶん印象が変わります。ちょうど「海の幸」を制作中で、千葉の海辺でのとてものどかでのびのびした風景のスケッチと、獲れる魚を列挙したり、童謡を交えたりした楽しげな文章を残しています。また、彼の当時の恋人で画学生だった福田たねのイラスト風の絵には、「海の幸」に取り組む青木繁や仲間たちがほほえましく描かれています。「海の幸」は、大きなサメのような魚をかついだ、漁民たちの生命の行進が、力強く画面いっぱいに描かれているのに、思っていたより、ずっとうす塗りなのが意外です。額縁も魚のうろこのデザインで、なんとも味があります。なんとなく、この絵が彫刻だったら・・と想像してしまい、まるで状況や背景は異なっているのに、勝手にロダンの「カレーの市民」と頭の中で並べてしまいました。一方向へ向かう群像、ということしか共通しないんですけどね(^^;)むしろ反対、「カレーの市民」は死に向かって、「海の幸」は生に向かって、歩いているんだろうけど・・・この作品以外では、その舞台となった布良の海を描いたものもよかったし、「輪転」という小さい作品にもとても心ひかれました。「輪転」は金色に輝く太陽のもと、4人の裸婦(女神かなあ?)が踊っているような、背景の、緑の流れに翻弄されているような、でも確かな躍動が描かれ、印象深い1枚でした。21、22でこれを描くかあ・・・もうため息しか出ません。はあ~~・・死の床での手紙も展示されてました。「・・・二十数年の生涯も技能も光輝なく水の泡と消え候も是不幸なる小生が宿世の為劫にてや候べき・・・」22歳で人生の一番輝かしい光を見てしまい、その後落ちぶれ志なかばで病で死んでいく、その光と闇。そして死んだら骨の灰を、故郷のケシケシ山に埋めてくれ、と。・・痛切でした。常設展も後ろ髪ひかれるくらい、よかった(>_