100kmを歩いて~その5
【 動の無心状態 】昨日の雨とは打って変わって、渥美半島は晴れ、あたたかいくらいだった。K坂さんは「ここだけは春みたいだな~、モンシロチョウが飛んでる」ときついはずの90km~97.5km区間なのに、ほがらかにしていた。そんな様子に私も気持ちが助けられた。気持ちははやるが、最後のチェックポイント、97.5km地点のコンビニにはなかなかつかない。やがて少し町らしい地域に入ると、その付近にコンビニがあるのかと期待してしまう。しかし、ない。軽いアップダウンがあったり、一本道がうねってカーブしてたりして、この坂の向こう、このカーブの向こうにチェックポイントがあるのではないかと期待しては裏切られ、焦燥感を感じ始めた。だんだん日差しも強くなってきて昨夜着込んだ服が暑く感じられてきた。荷物をおろして服を脱いだりするのは避けたかったので、そのまま黙々と歩いた。やがてK坂さんがとてもきびきびと歩いているのに気づいた。ものすごい健脚だなあ、と感心しているうちに、引き離されてしまう。必死でペースをあげ、食らいついていった。脚がきついからとゆっくり歩いていたが、ゆっくりだとその分、足首などに体重のかかっている時間が長くなる。むしろテンポよくしたほうが、痛みも忘れて、歩けてしまう。M上さんに先に行ってもらってから、あのペースをうまくつくれなかったが97.5kmチェックポイントの手前数kmで突然K坂さんが、目覚めた虎のようにぐんぐん力強くペースを刻み始めた。無言でひっぱっていってくれた。私は本当についていくだけで精一杯だったけど、やがて夜中に体験した"無の境地"のようなものにまたいつしか入っていった。ペースは速めで、姿勢は昨夜のような楽な姿勢ではなかったかもしれない。背の高いK坂さんの歩幅とは同じリズムでは歩けないので、M上さんのようにリズムを合わせるのではなく、ペースだけを合わせ、自分のリズムに集中して歩いた。昨夜のが"静の無心状態"だとすると、この区間のは"動の無心状態"という感じだった。とくとくと全身が脈打ち、小走りぐらいのペースで歩き続けていると、一気に気分はハイになった。爽快感に貫かれた。途中、左手の丘陵地帯に、巨大な白い風車が突如現れた。3本のスマートなプロペラがゆっくりゆっくり旋回していた。昨夜も、風力発電のための近代的な風車が山の上などにいくつか見えてはいたが、こんなに間近に突然現れたのでちょっとびっくりした。集中してハイな状態になっているせいか、よけいに風車が不思議なものに見えた。デ・キリコの形而上絵画の中に迷い込んだようだ。大きなプロペラが動くと、フォン....フォン....と空気を切る音がする。他には何の音もない。その影が地に落ち、巡っている。朝の光を浴び、緑の丘、青い空をバックに、白い風車は突然私の前に現れた何かの啓示のようだった。前を通り過ぎながら、見上げる。風車は徐々に後方へ遠ざかっていく。そのこと自体も不思議な感覚だった。私はやはり何かの境地にさまよいこんでいたのだろうか。K坂さんはときどきちらと振り返るので、無言で飛ばしながらも気にかけてくださっているのがわかった。ほとんど小走りのように歩きながら、この地点でまだこんなに歩けるということに驚きつつも、集中して歩くのが楽しかった。K坂さんも一度もマッサージを受けず、一度も座り込むことなく、歩きとおしてきたのが、すごい。先ほど抜かされた人たちに声をかけつつ、次々抜かしていった。やがてK坂さんが何か叫んでいるので、辺りを見回すと右手に海が見えた。海の見えるところまで来た嬉しさで、わー海だ海だと喜んでいたら、そうではなかった。前方のカーブの先に、97.5kmのチェックポイントのコンビニがあったのだ。喜びに叫びつつ、転がり込むようにチェックポイントに到着した。 97.5km地点も突破した。長い長い7.5kmだった。しかし後半心地よくてハイになって心地いい区間だった。無心に歩くことをもう一度思い出させてくれた。あとは、最後の最後の2.5kmを残すのみ。高揚し、喜びが体をかけめぐっている。「そのまま行けーっ!」とけしかけるサポートの方たち、「このまま行くぞーーっ!」とハイになっているK坂さん、でも私は「ちょっと待ってー!!」とお手洗いに駆け込んだ。笑い声を背に聞きながら・・ラスト2.5kmは左手に三河湾を見ながらの道だった。途中、A野さんに追いついた。つらそうにひとり、歩いている。K坂さんはペースを落とし、A野さんと一緒に歩き出した。さっきの勢いでゴールまで行ってしまうのかと思っていたけど、もう時間は関係ない。私もほっと気力を抜いて、この2.5kmを楽しむことにした。【 ゴールへの道 】あんなゆったりと生き生きした海岸の情景を見たことがない。自転車の競技者たちが色とりどりのヘルメットをつけ、右側の道路を行き過ぎる。左側には深い青をたたえた三河湾に、水上バイクがうなりをあげる。空は明るくすみ、道はまっすぐのび、優しいベージュがかった白が、私の心を照らす。遠く向かい岸に広がる街。右手の遠くにヤシの木をはじめ、緑がおだやかに枝葉を広げている。すべてがゆったりしている。何もこわいものがない。何も憂えるものがない。時間のくくりも感じられない。散歩するように脚を前へ運べば、そのままゴールへ道は続いているのだ。突然、Sさんが目に入った。夢を見ているような錯覚を覚える。そして近づいてきて、あの思い描いていた通りの笑顔で声をかけてくれる。もちろん、ビールかけというのは、冗談だったけど 夢見た通りの明るい海辺でのSさんの笑顔に、待ち焦がれた瞬間が訪れたことに驚く。あまりにイメージそのままなので。それからOさん夫妻もやってきた。気持ち的にずいぶん支えていただいた。そして、当たり前のようにゆったりと一緒に歩いてくれる。笑いさざめき、数人が一団となって海岸沿いを呼吸するようにゆったり進む。こんな幸福な心地いい海辺での散歩を、想像しようもなかった。やがてOさんが道路のほうを指さす。海岸沿いを離れるのが惜しい。もう少しこのまま歩きたいくらい。しかしゴールはあちらだ。ひとりずつガードレールを超える。脚をひきずってつらそうなA野さんが、片手でポールにつかまり、ガードレールを超えようとすると、四方から手がさしのべられる。A野さんの手は片方しか空いてないのに。私も思わず手を出しながら、幸福な苦笑をもらす。晴れ晴れした気持ちでカーブした道路のアスファルトを踏みしめていく。道の向こうに、今度はY本さんが見える。いつもの柔和な笑顔で、やはり道を指し示す。冗談を言い合ったりしながら、みなと一緒に進んでいくと駐車場の向こうに、一年前に見た、懐かしい、しかし初めて見るゴールのアーチが目に飛び込んできた。昨年私は、あちら側にいて、奇跡のようにゴールしてくる人たちを出迎えながら「すごいなあ、すごいなあ」としか言えなかった。今年はたくさんの人がこちらに向かって手を振っているのが見える。信じられないような思いで、両腕を大きく広げ、叫んでいた。「私にもこんな日が来るなんて!!!」と。<つづく>