北斎というグレート・ウェーブに洗われて~東京国立博物館「北斎展」
友人とかねてから楽しみにしていた北斎展を見に行った。気持ちのいい秋晴れの日だったので、上野公園の紅葉を楽しみながら、国立博物館へと向かう。着いてみるとさすがに行列。30分待ちだったけど、まあそれくらいは覚悟の上・・・並んで待つ間、期待がふくらんで、天気のいいのも手伝って、秋の豊かな日差しのもと、むしろ上機嫌で入館を待つことができた。さてさて、中に入ってみると、第1展示室はかなりの混みよう。300点の展示作品すべて見てたら絶対疲れきってしまうから、ポイントだけ押さえようと思ってたので、あまりに混んでいる初期のころの作品群は、大方捨ててしまった。それでも圧倒的な量の作品郡から、雰囲気にのまれてしまうほどパワーをびしびし感じられた。あらゆるものを描いたというが、改めて目で見て実感した。友人はあまりの多作に、「モーツァルトみたい!」と言い、私はあらゆるものを観察したという点で、先日のダ・ヴィンチと引き比べていた。ひとりの画家のエネルギーに包まれる体験としても、似たものを感じる。あらゆるものを、手法も変え、雰囲気も変え、描いた。これでもかこれでもかというくらい。70年もの間、描き続けた。そのエネルギーはどこから来るのだろう?美人画のなんともやわらかな流暢なライン。老人や中国の賢人などを描くときの、強弱のコントラストの強いライン。漫画の闊達さ。鳥や魚の絵に如実にあらわれる凄みのある描写力。地図画のため息の出るような細かさ。武者絵の前面にあふれ出る充実感。龍の墨絵の、けむるような墨の使い方、黒の迫力。あまりに自在なので、ほんとにひとりの絵師の作品か、と感嘆の思いでいっぱいになる。うなってしまう。描くのが楽しくてしょうがないんだろうなあ。絵に、万物にまみれて、狂遊しているように感じられる。ざっと見た中でも、私がいいな、と思ったのは肉筆画が多かった。まず三連一組の「日月龍図」。太陽と月と龍がそれぞれ一幅の掛け軸に描かれ、3枚が絶妙な心地よいバランスを見せている。太陽の晴れがましい、でもなぜか懐かしいようなじっと見ていると気持ちの凪いでくるような朱赤が印象的。それから、がさがさっとした簡潔な筆さばきながら、柳と女の、風情ただよう「夜鷹図」。流暢なラインで描かれた、あでやかな錦をまとった美女図なども魅力的だけど・・さらっと柳が上部からたれ、風にゆれ、その下で男を待つ、その日暮らしの夜鷹の後ろ姿、ほとんど墨色ばかりの、そんな絵のほうに私は惹かれた。絶筆とされる「富士越龍図」もよかった!すっきりした潔い白富士のはるか上空へのぼりゆく龍は、決して大きく描かれていない。龍を小さく描くことで、かえってはるかな情感を感じることができる。それは北斎自身の魂のようにも思える。腹の底から人生を悦びながら、ついには重さも多様性もパワーも脱ぎ去って軽い透明な龍になり、天へとのぼっていってしまったのかな・・・肉筆画も素晴らしかったけれど、やはり圧巻は「富嶽三十六景」。もうあの構図に見慣れてしまってる方も多いのかもしれないが、私の目にはまだまだ新鮮にうつる。その一連の作品の前は、一番人気もあり人だかりしているが、何度も戻ってみてしまう。藍の美しさ!「甲州石班沢」の、富士の省略の、あまりのセンスの良さ。「凱風快晴」の、富士のぼかしの心にしみるような優しさ。人の動きの面白さ。構図の巧みさ。建物の配置のリズム感。これまで私は浮世絵では広重が一番好きだったけれど、北斎の人気、世界的な評価の高さも、今回まったくこうべをたれるような思いで実感させられた。広重も叙情性があり、構図も非常に巧みで、じゅうぶん奇抜で素晴らしいのだが、北斎はそこに、ゴムまりの弾力、とでもいうようなものが付け加わり、非常に生き生きした、ある意味キュートな味がある。見ていて本当に楽しい。心がいつも弾んでいないと、こんなに大量に生き生きした絵を描くことはできないだろう。こんな日本人がいたなんて!!数年前から日本の文化、日本の精神がとても好きになっていたけれどあらためて北斎から、より豊かな衝撃を受けた。そう、まさに北斎というグレート・ウェーブ(「神奈川沖浪裏」の大波)にざっぶーーん!とのみこまれ、すっかり洗われたような感じだ。こんな心の弾力をもって生きていけたら、いいなあ。日本人の感性の土壌をもっともっと知りたい欲求にかられつつ、光あふれ、紅葉散る上野公園を、夢の中を歩くようにぼーっとしながらあとにした。