オルセー美術館展
この日の上野駅前と公園内は、私が行った中で一番混雑していてびっくり。お花見シーズンですもんね~。上野の桜並木には花見客の川が流れているよう・・・思い切り曇っていて、寒空に見えますね。今日はこれを見に来ました。「オルセー美術館展」、余力があればダ・ヴィンチの「受胎告知」も。「オルセー美術館展~19世紀芸術家たちの楽園」は、ものすごい混雑だったけど、10分待ちで入れたのは意外だった。ホイッスラー「灰色と黒のアレンジメント第1番 画家の母の肖像」好きな画家のひとりであるホイッスラー、この作品を直に見られるなんて感激。白と黒とグレー、人物とものの配置など、すべて計算しつくされていて、落ち着いていて見ていて飽きない。シスレー「洪水と小舟」洪水後の情景だというのに、ほとんどほがらかと言っていいほどの明るさ、晴れやかさにあふれている。この世界への讃歌であるように感じられる。クリアな水色の空がまぶしく清清しい。家の表情もいい。壁のクリーム色とベージュのツートンカラー、楽しく優しい色あい。屋根と屋根裏部屋の小窓は、希望にみちて空を見上げているかのよう。まんまんと水を湛えた大地は、災害というよりむしろ、それ自体まるで地上の豊かさ、輝き、悦楽をあらわしているかのようだ。エドワード・スタイケンの一連の写真作品、「田園、月光」「月光、池」「谷への道、月光」はよかった。風景のモノクロ写真に、わずかに彩色してあったりする。詩情にあふれ、絵画のような写真だ。どの写真にも月はそのまま姿を写しだされてはおらず、木などの背後に隠れ、その光が地上のものを照らし、そしてまた影が大地を包んでいる。ひそやかなるもの、隠されているもの、あらわにされず、それでいてそれゆえにか貴いもの、その気配。ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」は、やはりすごい人気。パリのオルセー美術館で見たときは実はあまりよく感じられなかった。今回は隣の「アルルのダンスホール」と共に見られてよかった。対照的な作品同士に見えた。ゴッホ「アルルのゴッホの寝室」「アルルのゴッホの寝室」は、塗りの浅い黄と、水色に近い青が主体となり、健康的な印象を受ける。しかし、狭い寝室だからしかたないけれど、置かれたものはほとんど全てがかくかくしており、直線だらけの部屋だ。壁にはゴッホの自画像を含む、いくつもの絵がかけられており、よけい狭く、壁がベッドにせまってくるように感じられる。閉塞感を感じられる。それに対し、色は美しい。黄系と青系のグラデーションになっている。枕やシーツ、壁の絵などの淡い黄、椅子の黄、ベッドのマスタードイエロー、テーブルのオレンジ、毛布の温かみのあるレンガ色、床のベージュ。そして壁の水色、ドアのライトブルー、グラスや上着の青。全体に明るく浅い色の積み重ね。そしてその中で際立っているのが中央に見える細長い窓枠の濃い緑と、ガラスにうつった戸外の光の濃い黄。この緑と黄が非常にヴィヴィッドで、効いている。そこへ視線が向かう。窓は片方、少し開きかけている。解放への希求、だろうか。閉塞感のある部屋から、直線的な部屋から外へ外へ。ゴッホ「アルルのダンスホール」「アルルのダンスホール」は、夜、にぎやかな社交場ということもあり、孤独な簡素な「アルルのゴッホの寝室」とはまず対照的だ。同じ黄と青でも、こちらはこってり濃厚な黄、ゴッホの絵にときどきあらわれる病的な黄と、そして闇のブルー、瑠璃色が基調となっていて、不健康な匂いがする。こちらはほとんど直線がなく、ほとんど全てがまるくむゆむゆした曲線。抽象画のよう。それでいて人間くささ、暴き出される内面といったようなものが蠢いている。じっと見ているとライトや、髪や女のドレスなどの黄色の形が浮かび上がり、病的な黄がこちらにせまってくるようである。「ゴッホの寝室」が部屋の中へ向かって壁や絵がせまっていた窮屈さ、画面奥の窓の外へ意識が向かうのと対照的で、「アルルのダンスホール」は、人々の群れの蠢き、どよめきがからみあいながら拡散し、膨張し、その中から黄が浮かび上がってきて画面を見るこちら側にせまってくるのだ。彼の黄は、何かを露呈してしまう黄、のように感じられて、ちょっとこわいがなぜか目が離せない。エドゥアール・マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」今回の展覧会で、一番人気で人だかりの絶えない作品がこれだった。はろるどさんのブログで非常に素晴らしい感想を書かれていて、私も行く前から興味深く感じていた。マットで重みのない、マネの黒。黒の存在感もさることながら、カーテンか壁か、背景の白がまるで生きた焔(ほむら)のように見える。白い炎の前のモリゾ、彼女を包む黒衣と帽子は、まるで下から上へ向かって彼女に巻きつき、トップの羽飾りだろうか、そこへ向かって回旋しながら駆け上っている。上昇している。帽子のトップで、ようやく黒が、黒の実体から脱け出し解放されている、そんなふうに感じさせる筆さばきだ。白と黒を引き立てるかのように、モリゾはあえてマットな淡い色の唇で、目なども肖像画では考えられないくらいざっざっと荒く描かれているように感じられる。ギュスターヴ・モロー「ガラテア」ガラテアの白くやわらかそうな肌の輝きに目を見張るが、彼女を囲んでいる幻想的な花々も素晴らしく美しく魅力的で、宝石のようにきらめいている。ペリドットのような淡い緑の花が、白い肌に映える。これ見よがしに手でかき上げ、落としている長い髪の金色の輝き。背景の青緑が、そこここで使われている暗赤褐色と対比的で、モロー独特の妖しく美しい雰囲気をかもし出しているが、微妙に不吉な補色の組み合わせで、見る者を落ち着かせない。彼女を垣間見る三つ目の巨人は、下2つの目は沈思しているように心もち伏せられているが、3つ目の上の目は、驚きと欲と、どこかしら畏れの念に打たれたように見開かれているのが印象的だ。ブレイトネル「月光」、雲の向こうに強烈な月光、その光により縁が白く輝き、劇的な様相を帯びる夜の雲、そして空。こういう雲と月光の気配は大好き。"向こう側にある世界"への想像を掻き立てられる。レオン・スピリアールト「月光と灯火」、スピリアールトはベルギー展で初めて見て好きになった。やはりいい。ちょっとムンク的なうねり、と思ったらキャプションではやはりムンクの影響を受けてるらしい。月光のグラデーションが夜空いっぱいに広がり、トンネルのような洞窟と、その出口の光のようにも見えてしまう。淡いオレンジの灯火は、懐中電灯の明かりのように。「おしいれのぼうけん」をふと思い出す。子供心にこわくて読めなかった絵本。カリエール「夜のクリシー広場」、ぼんやりした夢幻の世界。もやの中にたたずんでいる気分になる。石畳の道、道端に出されたカフェの白い椅子、街灯、人影。かつかつと響く靴音やステッキの音、霧にしめった夜の空気。ストリンドベリ「波VII」、絵も描く人だったのかと初めて知る。抽象的で、いい。グレーで描かれた空と波のぶつかるところ、抹茶色の空(?)がちらりとのぞいている。絵の具の厚塗りのせいか、非常に物質的な重みを感じる作品。固い手ごたえ。抽象的な雰囲気でありながら、ものがあり、リアルな手ごたえ、現実感を感じさせる。ストックホルム出身だということで、寒冷な地の風土感なのかもしれない。フランソワ・ガラ「未来の宗教のためのさまざまな神殿」の連作。美しく幻想的、SFやファンタジーに出てきそうな光景だ。昔見た映画「ネバーエンディング・ストーリー」の冒頭部分を思い起こしてしまった。この建築物はすべてが氷やガラスでできているのかもしれない。あるいは人類がまだ知らない、未知の素材でできているのかもしれない。それを包み込む黎明の、ブルーやピンクの澄み切った空気感が、優しく印象的。同じくフランソワ・ガラの「芸術家の室内」、こちらは現実的な部屋の断面図を、理知的な線分で表現している。装飾の施された楽譜のような、華麗で軽やかな楽しさにあふれていておしゃれな感じを受ける。「オルセー美術館展~19世紀 芸術家たちの楽園」は上野の東京都美術館にて1月27日(土)~4月8日(日)まで。もうあとちょっとです。