仏教のこと
11月26日当たり前のようだけど、仏教は1つの鍛錬なのだと改めて思い至る。だから"修行"なのだ。考え方の修行なのだ。それによって苦しみを乗り越えていくための。そしてものの見方、とらえ方の修行でもある。不断の鍛錬。何かにすがって救われるなどという簡単な構造のものではない。自己のものの見方、とらえ方を常に見直し、徹底的に"空(くう)"となることで、自己を救う。やっと少しだけ、仏教の根本的な"信心""自己救済"といったものが知識としてではなく、感覚としてわかったきたような気がする。11月27日仏教のこと。これまでぴんと来なかった事柄が、何か急に実感としてわかるような気がしてきて不思議な感じ。ゴータマ・シッダールタが、生死や時間など哲学的命題に答えなかった、ということも、今、急にわかってくる。腑に落ちてくる。それから中道についても。それらは知識として知ってはいても、どういうことかわかっていなかった。また仏教の本を読み返したくなっている。何故だろう?Kの死は大きく関係ある。そしてその苦しみが。また、メルロ=ポンティや現象学の本を読んでいることも関係ないようで実は関係あるように思う。なぜか現象学の本などを読んでいると脳の後ろのほうでは、仏教のことが浮かんでいて、何かを考え続けているような感覚があったどの部分が自分の中でリンクしたのかはわからないけれど