8月のつれづれ
8/9心の弾力を失っていた。疲れすぎていた。目的を見失っていた。虚しさに久々にとらわれていた。闘う"気"が大事だ。久しく私の身体から失われているもの。8/10身体は呼びかければ、応えてくれる。佐古純一郎著「森有正の日記」、予想以上に興味深く読んでいる。すごくいいと思う。多くの示唆がある。風が吹く。真夏の熱風だ。私の胸に去来するのは、何かしら絶頂を迎えた終末、といった観念。柳の木がざわりと揺れる。この見ている風景そのものが、絶頂を迎えた終末なのだと思う。人生とはこうした時間そのものなのだと、生きていることはただこうしていることなのだと思う。これ以上でもなくこれ以下でもなく。熱風が吹き、柳の枝葉がゆれ、建物の赤い壁に影を落とし、夏空は青く、私は風に吹かれて、顔にかかった髪を払う。8/11言葉がわいてくる日々。ゆったりと平静に次々と雲がわいてきて流れ去るように、言葉がわき、わき上がり、流れてゆく。ここちのいい空。静かな流れのある空。言葉が生成され、思考が生成され、イメージが生成される。忙しく慌しく活動に追われていないからこそ、そうできているのかもしれない。だからここ数ヶ月の活動休止は意義があるのだ。停滞だと卑下することはない。「森有正の日記」、本当にいい。本人の著作も読みたい。何故今まで読まなかったのだろう。8/195月に亡くなった友人のRさんのことを思い出す。Rさんをしのぶライブには参加できなくて残念だったけどお別れの会と出棺に立ち会えただけで十分、という気もしている。改めて泣けてくる。胸が痛む。自分は生き残っている。だからこそ元気を出し、やれることをやらなければと思うと同時にひどい虚しさ、無力感にも襲われる。やっと少し元気になったところなのに。ブレイクスルーできそうだったのに。いともたやすく虚無感が私の力を奪っていく。8/28気力と無気力が細かい周期で巡ってくる。立ち止まっている。立ち尽くしている。動き始めることはできるけれど、それでいいのだろうか。ためらっている。8/30さっき会社から駅へ向かいながら、空へと抜ける風に吹かれた。何を示唆する風だった。しばらく何を示されているのか耳を傾けながら心静かにそのものの行方を追ってみたが、はっきりとはわからなかった。しかし確かに何かがやってきたのだ。何かが心をすくい、空へと運んだ。